ロシア海軍の悪魔の日「4月13日」
1898年3月28日、ロシアと清政府は「旅順大連租借条約」に調印して東アジア最初の軍港と言われる旅順を占領し、ポートアーサー(亜瑟港)と改名した。ポートアーサーはロシアの極東戦略の重要な一環として、ロシアの第一太平洋艦隊を進駐させた。
日露戦争の前夜、ロシアの太平洋第一艦隊の実力はそこぶる強大であった。ロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)はツェザレウィッチ戦艦、レトウィザン戦艦、ペレスウェート戦艦、ポルタワ戦艦、ペトロパブロフスク戦艦、セバストーポリ戦艦、ポピエダ戦艦などの7艘主力戦列艦が持ってあった。本文では「ペトロパブロフスク号」について簡単に説明する。
ペトロパブロフスク号はロシアのサンクトペテルブルクの造船所で建造され、1894年に進水した。それは前弩級(プレ・ドレッドノート)戦艦に属し、排水量は11,842トン、長さ115メートル、出力16600馬力、速度18ノット、航続距離5,500海里である。
この戦艦の武装は、双連装305ミリ主砲2基、總連装152ミリ砲6基、単装47ミリ砲10基、単装37ミリ砲28基、381ミリ魚雷発射管6門。主砲塔と甲板の装甲厚は254ミリと76ミリ、水線帯は203➖305ミリである。
1904年4月13日、ロシア太平洋艦隊の旗艦であるペトロパブロフスク号戦列艦の出港診察は、直接資料を獲得するために、極東海軍マカロフは自ら艦に乗り出航した。
午前09:43、ペトロパブロフスク号は機雷に接触し、悲劇的な爆発を発生し、この戦艦は進行中に断裂し、ロシア海軍の大将(提督)マルス・マカロフ(戦神)と太平洋艦隊参謀長ミハイル・モラス少将が戦死した。全て640名の官兵が大海に葬られた。
ロシア皇帝はペトロパブロフスクを訪ねました
2022年4月13日、ロシアの黒海艦隊旗艦モスクワ号誘導弾巡洋艦が黒海で弾に当たり沈没した。
4月14日、ロシア国防省は対外に発表したニュースで、ロシア国防省対外に発表したニュースで、前夜間にオザッサ南海で火災が発生し、動力系統に重大な損傷を受けた黒海艦隊旗艦「モスクワ」誘導弾巡洋艦は、セヴァストポリ港に曳航(えいこう)される途中に、暴風雨の襲撃に遭遇して沈没したと語った。4月16日、ロシアの黒海艦隊はせヴァスポリで「モスクワ」のために告別儀式を挙行したよ
ウクライナ方面の漏らしたニュースでは、「モスクワ」はウクライナが発射した2発の「ネプチューン(海王星)」型の対艦弾道ミサイルが命中し、携帯した弾薬が爆発を発生して沈没した。
1904年の日露戦争は2022年のロシア・ウクライナ戦争は118年を隔てるが、二艘のロシア海軍の旗艦は同日に炸裂で沈没した。4月13日はロシア海軍の災難日である。
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