旅順博物館の中庭の海の玉石
1964年の春、私は劉家村小学校2年生であった。学校は全校学生を組織して旅順太陽溝へハイキングに出かけた。当時の先生は二点の注意を出した。一つは学生の飢えを心配して、弁当を持参し、二つに小学生がはぐれるのを恐れて、同じ机の二人に必ず手を繋がせた。
その日、我々は旅順動物園と軍事博物館、旅順博物館を参観した。昼ごはんは博物館の中庭に敷かれた小さい海の玉の上で食べた。それは私がそれほどたくさんの小さい海の玉石を見て楽しく思った最初であった。
博物館の中庭にどうして小さい海の玉石を厚く敷く必要があったのか。当時、直感は楽しく思ったが、この問題には考えつかなかった。後に関係者に聞くと、次のような効能を話した。一つは盗難防止の効能がある。早期には、監視機器施設がなく、宿直人員が主に目で見て、耳で聞く責任があった。夜間に、人が玉石を踏むとチャチャという音声を発するので、当直班人員の警戒を引き起こすことができた。二つには環境を美化する効能を具えていた。海の玉石を敷き詰めることは埃を立てず、雑草の成長を止めた。玉石の上を歩くと靴の埃を取り去った。
1999年、博物館改造の時、中庭の海玉石は全部取り除き、滑らない床レンガが敷かれ、冬場の雪で観光客が倒れるのを防止するため、門前の道路上に角材が敷かれ、木板が釘付けられた。数年前、しばらくぶりに海の玉石が戻され、元の景観を回復した。
日本の統治時期には、旅順のある場所に海の小玉石を敷いてあったが、それは関東神宮であった。現在勝利塔の下の小玉石は関東神宮旧跡のそこから運ばれて来たものであり、そこの大きな長椅子も関東神宮を解体した材木から作られたものである。
昨日、再び博物館門前を往来しに行ったが、1964年発の最初に博物館に参観して、初めて海の玉石でからいつしか58年になった。少年の時間を訊ねて、あなたは心から感嘆するであろう〜光陰矢の如しと。
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