山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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金楽婷/バドソン・テーラーの夫人となった宣教師

金楽婷(マリヤ・ギネス・Mary Geraldine Guinness)の父親はイギリスのロンドンで宣教師訓練学院を創設したので、幼い頃から中国へ布教に行くことを決意し、兄弟姉妹4人のうち、彼女と弟のゲルショム・ギネスがが夢想した中国へ相次いできた。

1865年12月25日、マリヤ・ギネスはイギリス・ランカシャー州リバプールで生まれ、父親はヘンリー・ギネス(Henry Grattan Guinness)牧師は有名なキリスト教布教師で、奥地会(内地会)を創始したジェームス・テーラー(戴徳生)の親友であった。マリア・ギネスは若い頃からロンドン東部の女子労働者に聖書科を教授した。

ランカシャー州の区域図

1888年1月、23歳のマリヤ・ギネスは「Kaiser-i-Hind(カイザー・イ・ハインド)」号二等船でロンドンを離れ中国へ向かった。山西寿陽布教界のピゴット一家と彼女は同船して、セイロンのコロンボで、宣教師達と上海「S.S.Deccan(S.S.デカン)」号に乗り換えた。当船がマラヤのペナン島に停泊した時、マラヤは始めた多くの中国人と接触した。船はその後シンガポールに停泊した。船の中国での最初の停泊地は香港で、最終的に上海に到達した。


金楽婷(バドソン・テーラー)

1888年3月23日、マラヤは上海から長江沿いに西北方向へ二日半の時間で揚州に到達した。揚州奥地会で語言訓練の後、河南の布教へ配置された。


揚州女宣教師語言学校

1894年4月、29歳のマリヤと奥地会の宣教師フレデリック・テーラー(戴存義とFrederickHoward Taylor)上海で結婚した。


金楽婷夫婦

1911年、マリヤ夫妻は厚い『ジェームス・テーラー(戴徳生)伝』を合作したが、上冊は『ジェームスの少年時代』、下冊は『テーラーと中国奥地会』であった。

ジェームス・テーラー伝

1920年12月16日20時16日20時06分09秒、甘肅省でマグニチュード8.5級の大地震が発生した。震源は海原県の県城の西、北36.5度、東経105.7度、地震烈度(中国の震度、12段階)最高の12度で、史上海原地震と言う。海原地震が放出したエネルギーは、11.2回分の唐山大地震に相当しした。当時世界96ヶ所の地震台でこの災難を記録している。地震後、政府発表で28.82万人が罹災した。


一名生き残り者

1920年12月16日の地震後、マリヤ・ギネス(金楽婷)とそのほかの宣教師はすぐさま災害救助と援助に取り組み、「その後数ヶ月で、十二万元を救援活動に投じた」。十二万元が、もし大洋銀であれば、本当に得難いもので、1921年1月1日から1921年12月31日まで、一年の号令で奔走し、甘粛賑災救済会は各地へ赴き義援金三万一一千元の大洋銀を募集したが、その中の寄付者には黎元洪、曹錕などの大人物が包括された。マリヤが蘭州各界数千人の人士が都督張広建の引率(いんそつ)で、滔々として広大な黄河のほとりで河神を祭礼したが、香華(こうげ)に大洋銀一一千元を費やした。


1921年3月、アメリカ『国家地理』雑誌はこの地震を描写している:「山峰は夜の帳の元に移動して、地滑りが瀑布(ばくふ)のように流れ落ち、巨大な地割れが家屋やラクダのキャラバンを飲み尽くし、村は起伏する土の海の中に消失して跡形もない。」マリヤは彼女の『大西北の呼びかけ』書中でこのような物語を語っている。海原地震の時、マリヤは蘭州で新疆に行く準備をしていたが、ある家の父子三人が奇跡的に生還を果たした。以前には、彼らは細長い渓谷の中に生活していたが、地震は地滑りを発生し、山の麓の建築物を埋没(まいぼつ)してしまった。だが、彼らの家屋だけが埋没を免れた(まぬかれる)。しかし、土砂流は彼らの家屋を包んだまま、1千メートルも移動してしまった。その後、父子三人は家屋から救出されてきた。これは完全にの生還の奇跡である。


震中記念碑

1930年、マリヤ・ギネスの編集した英文版『医療教師金純仁の中国河南記』が出版・発行された。この本は奥地会宣教師の弟金純仁(ゲルショム・ウィットフィールド・ギネス、Gershom Whitfield Guinness)を記念した。


1946年8月15日、マリヤの夫のフレデリック・テーラー(戴存義、FrederickHoward Taylor)が主の御許に安らかに眠った。享年84歳である。

1949年6月6日、マリヤも主の御許に安らかに眠った。享年84歳である。


2015年1月、マリヤは『大西北の呼びかけ』を編集し、尚季芳博士の翻訳で、甘肅文化出版社が発行したが、書中でマリヤ一行が1920年から1923年かけて陝西、甘肅、寧夏、青海などの地の行程の見聞録を述べている。彼らは西安から出発し、興平、涇川を経て、蘭州でマグニチュード(リヒター尺度)8.5の特大海原地震を経験し、地震地区の救助に参加し、その後河西走廊、蘭州、甘肅、嘉峪関仁向かい、再び西寧、河州へ戻る⋯⋯途上で、彼女は激動の時局に零落した西北地方の社会を目の当たりにした。


著者 侯小勇