フレンドリー山東(威海李君)

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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老荘的な深い意味のある方法論である。あなたにとって不利な状況の時は、ともかく口を閉ざすことである。沈黙は吉であるが、特に心は決してはならない。順調であればより多い、不順であればより読書し、急がずじっくりと対処し良い事になる。

フレンドリー山東(威海李君)


本当の智慧とは事に当たってどれほど冷静さを保てるかである。。

人生は囲碁のようなもので、一局一局どうなるか分からず、どんなに囲碁の名手であっても、必ず袋小路に入り込むことは免れない。ベストを尽くしても全く上手くいかなかったり、全く準備万端であっても、最後に微妙なポイントで奈落の底に陥るような経験が多くの人にである。そういう時、焦ってすぐ原因を考え間違いを修正し、止まることなく局面を好転させようと考えるが、しかしこのような方法は往々にして裏面に出て、動乱する悪循環に陥るのである。
このような状況で、最も賢明な選択はともかく口を閉ざして、心を落ち着けることである。

沈黙は吉であるが、混乱は禍(わざわい)である

世間のあらゆるものにはめぐりめくルールがあり、人間も同様である。我々はよく「天時・地利・人和(人の繋がり)」というが、実に古人のチャンスや状況に対する深い洞察を含んでいる。故人には「動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し」と言ったが、この言葉は「静」のエネルギーを強調している。
状況が不利な時、心の平静を維持することは、強風大雨の中に立つ不動の大樹のようで、風雨に襲われても悠然と動かず、外界の混乱ようやく収まった時にも、その木はすくっと立っても根幹も変わらないが、暴風に揺れ動く不安定な小樹は根こそぎやられて残りもしない。
心が乱れれべ言葉も混乱し、行動も確実に正確さを失う。逆境に立った時、焦燥、憤慨、落胆などの感情は毒薬であり、我々の理性と判断力を侵食し、後で後悔するような決断を最初にしてしまうが、冷静さを保持して、こういう錯誤を避けることが、最善の良薬なのである。

心が乱れれば物事は混乱し、心が平静であれば物事は成功する

人心は鏡のようであり、心が乱れれば、鏡に映るものはみなひずんでしまう。不利な状況で、精神は激しく混乱し、まるで暴風雨の中にいるように前進する道が見えなくなる。
この時、簡単に現れるのは錯誤した判断と解決策であり、難局を解決できないだけでなく、事態をさらに悪化させてしまう。自身の心境をコントロールして、冷静さを保持すれば、物事の真実のさまを見ることができる。

古人は「心静かなれば則ち事成なる」というが、危機の時に冷静さを保持できる人は、最終的に危険な状況を好転させることができるのである。

正に『般若心経』の「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄(本来は視覚、聴覚、嗅覺、触覚、心と言ったものも存在しない)。」である。

心が穏やかであってこそ、人生の真相を見ることができ、逆境の中から抜け出す道を見つけることができるのである。

順風であればより多くの事をして、逆風であれはより多く読書する。人生は蛇行する川の流れであり、時には急流直下し、時には鏡のように水面が穏やかである。
順風順水の時は、当時より多くの行動をすべきであり、上昇する運勢に任せて自身の目標の実現に努力すべきである。流れに逆らい上る時には、いつでも足を止めて状況を図る必要がある。
「逆時 多く書を看る」という言葉は簡単なようで、深刻な人生の智慧を包含しており、人生の低迷期には、外面を繕うよりも、往々にして自身の内面を充実させる必要がある。読書は見識を増やすばかりでなく、困惑の中で精神的な慰労を見つけることができるばかりでなく、外面の暴風が止まない時には内在する安寧が我々の最大のよりどころとなる。
読書は一種の訓練であり、書籍を通して我々は古今往来の賢者と対話することができ、その中から経験と知識を取り出し、自身の逆境を強健さと叡智(えいち)を替えることができるのである。陶淵明の「悠然として南山を見る」の淡泊さと余裕は、当に書籍の栄養と時間の蓄積によって得られるものなのである。

物事が緩やかであれば円満に納まるが、功利を急げばかえって弊害が起こる。

世間の万物は、全てに自身のテンポとルールがあるので、些細な事情により急いではいけないが、急ぐほどミスをしやすくなる。

我々の言う「事緩やかなれば円(まろ)し」、緩の消極的に先延ばしにすることではなく、時機を待って熟成させるということは一種の積極的な沈殿であり、自然の順応するリズムの中での最適の正解を求めることである。

世間には急いではならないことが多く、焦れば焦るほど理想的な結果を得られない。

種子のように入念に水や肥料を与えても、発芽、成長、開花結実するまでには時間がかかるもので、もし苗を引っ張って成長を促進させようとしても期待通りにはならない。困難に直面した時我々も「事緩やかなれば則ち円し」の心構え必要である。多くの問題は決してすぐさま解決する最良の結果は得られないが、かえって一定の時間をかけて冷静に観察して思考すると、乗り越えられなさそうな困難に、最も適合した解決方法見つけることは、時間の流れの中でゆっくりと新転機と出口を明らかにすることが。膠着状態を打開する必要はないが、自身の情勢に一息入れるチャンスを与え、風向きの変わるのを待って、最適な選択を行で、失敗する可能性を減少し、よりリラックスした心構えで挑戦する事ができる。

心 静かなること水の如く、万事 皆な成る。

心 静かなれば則ち清く、清ければ則ち明るく、明るければ則ち得る。

内心の平静は一切の問題を処理する基礎である。

心が乱れた時、どんな決定も盲目的となり、更に混乱と苦痛をもたらすが、風雨の中でも内心に安静を保つことができれば、きっと雨後に美しい虹を見ることができるであろう。ペースが速く情報が爆発的なこの時代に、外界の喧騒は我々を迷わせ、内心の浮(うわ)つきは賢明な判断をなくしてしまうので、静かに思考することは最も重要なことである。喧騒の中で内心の安寧を見つけることができれば、本当に「乱るる処 驚かざ」ることができて、人生の毎度の試練に対処することができるのである。
順調、不順に限らず、人生の経験は常に実践である。順調な時にはチャンスを掴み更に勇敢に前進することを学ぶことができ、逆境にあれば、心 静かなれば吉、心乱れても、口を閉ざして傍観すれば、運命の転機を見つけることができる。人生の起伏に直面した時、清明の心を保持して、その変化を静観し、冷静に対処すれば、順逆を問わず、遊刃に余り有り(仕事に余裕ができる)なのである。