よく見られる玉璧はみな円形であるが、この玉璧は「龍帽〜ドラゴンキャップ」を着け更に「吉語〜ラッキーワード」を付け加えてドレスアップしている。三つの観点から、後漢「宜子孫(子孫に宜し)」という言葉を記した「玉璧」について知らせしよう。
体型➕1
玉璧にキャップ、➕刻字、➕枠外1。本来漢代の玉璧が優秀なことは、度重なる研磨(buff)による。1982年に青州市譚坊鎮馬家塚子後漢墓から出土した「宜子孫」玉璧は、上等な新疆和田玉を使用しているが、玉石で黒玉の純度が高いものは珍品である。上から下まで細かく見れば、円形の玉璧の枠外の上方に彫刻された双龍模様の取っ手の「中国龍」に出会える。
玉石は黒色を帯びているが、職人はこの独特な質感を巧みに利用して、胸を張り頭を上げ口から牙をむき出しにして、吉祥の雲の間を飛び回る中国的な「S字形」の剛健なニ頭の龍を彫刻しているが、なめらかで生き生きとした線であり、ダイナミックアート(動態芸術)のリズミカルな美しさに満ちている。
取っ手の中央には「宜子孫」の三文字が彫刻され、「子々孫々、宜室宜家(代々家庭円満)「の願いが込められている。
玉璧の外周には夔龍(きりゅう、一本足の龍)紋と蟠螭(ばんち、絡み合う若龍)紋、内側には当時流行した水玉要素で158個の乳釘のような突起を装飾している。そのほか玉工職人は彫刻の過程で、溝線を彫る手法で図案の輪郭を際立たせている。
「宜子孫」の由来は何か。現在国内で出土している漢代の玉璧で、この「宜子孫」と漢字を彫刻した玉璧は、中国国内で今までに発見された最も完璧で、最大であり、質感も最良であり、芸術性も最高のものである。
青州市博物館
後輩にメッセージを送るために、古代人は玉璧に「刺繍」しただけでなく、玉璧には「宜子孫」と大きく三文字を刻んだ「刻字」がある。「宜子孫」は、「宜而子孫承承兮」という詩句で初めて『詩経』に登場し、漢代には「長宜子孫(長=とこしえに子孫に宜し)」と省略した吉語としてよく見られる。また儒教の親孝行思想をも反映している。「長宜子孫」は家庭の年長者が後輩に対する要求や期待を指しており、一方で自身が築き上げた家業財宝などで世代を超えて残したいと希望し、また一面で子孫後世が末永く安寧で充足した生活をできることを願っている。
漢代銅鏡「長宜子孫」紋様
専門家の解説でh、「宜子孫」玉璧は副葬品に属する玉である。漢代の貴族は埋葬される時、胸と背中に玉璧を置いた。これは被葬者の玉衣の上や背中に敷いて、墓玉がこの玉璧が子孫の繁栄と百歳の長寿を保つことを願っている。
➕ラッキーー1。「枠外(子持型)璧」と同じタイプ。
この後漢の「宜子孫」も中国でもあまり見られない「枠外璧」である。重要なポイント〜「枠外」とは何か。
枠外は玉璧の穴の中側に外側に龍と鳳凰の紋様を彫りり出すことで、漢代には大変流行した。玉璧の片側には玉璧の直径を上回る突出した彫刻装飾が現れるが、これを「枠外璧」と読んでいる。枠外の部分には一般に一対の螭龍(ちりゅう、雨龍)がアーチ状に彫刻され、螭龍の間には「益壽」、「長楽」、「宜子孫」などの文字がある。
枠外璧の模様は精緻であり、技法も複雑で、文字を帯びるものの価値は更に高い。青州博物館の後漢「宜子孫」玉璧以外にも、「縁起の良い言葉上手」同様の玉璧も一緒に見てみましょう。
玉鏤雕谷紋「長楽」璧、故宮博物院蔵
後漢「宜子孫」玉璧 揚州博物館
玉「益寿」谷紋璧 故宮博物院蔵
千年磨礪,溫暖有方,子々孫々、宜室宜家は漢代の人々が子孫に残した愛に満ちたメッセージである。もしあなただったら、後世に何を祝福しますか。コメントをどうぞ。