5,000年前に刻まれた「日月山」は中国文字の原型である

5,000年前、大汶口の古代人は「日、月、山」の図符を使用して彼らの自然に対する理解を刻んで、また中国文字の初期原型を留めた。
7月20日は、「月面着陸の日」であるので、一緒に大汶口尊の刻符を通して、当時の空を振り返ろう。

陶器の尊の「ロゴマーク」の中央の「三日月型」は何を表すのか。この陶器の造形は砲弾のような形をしており、主に大汶口文化の遺跡から発見され、祭祀用具や児童の埋葬に使用されていた。研究者は、本日紹介するこの陶器は、祭祀儀礼使用されたものであると考えられており、そのため「尊」と呼ばれている。

この底の尖っ(とがる)た祭器は五徳に架けたり土に半分埋めて使用された。

この大口尊の刻符は、代表的な「ロゴ」の組み合わせである。上から下までの図形の輪郭から「日月山」と呼ばれている。上部の円形は一般に太陽と見られている。

中間の三日月(みかづき)型には三つの説がある。
1、月
月影と言う方は造形的に「当」っている。弓なりの三日月は太陽に相対して出現し、自然を直接に表現してシンプルでロマン的なものである。

2、金烏
この弓なりの「三日月」を詳細に見ると、中央に羽を支える突起が見つかるが、これは鳥の背骨であり、両側は羽を模っているようである。一文の学者は太陽を運ぶ神鳥「金烏」と解釈して「金烏 日を負う」伝説に対応させている。

3、雲気
更に学者は下半に結合する部分の山の造形から、これは早期に山中に立上る雲気であると解釈している。

そして最下部の「山」の造形は「看図説話(絵画による解説)」で五峰の山と解釈するほかにも、「火炎」の意味であると解釈されてもいる。
各部の解釈がどのようであっても学会の共通認識としては、これが大汶口文化特有の完全な図像であることである。
山東省の莒県よう安徽蒙城などの地から出土した陶器には全て「同形のロゴ」が見られ、大汶口文化の先住民の活動範囲の広さを証明している。

安徽蒙城尉遲寺出土した大口陶尊刻画符号(安徽博物館)
甲骨文字よりも1,500年も前の中国文字の原形はどんなものだったのか
この独特な図案の意味については、大汶口文化の祖先のトーテムあるいは族章であると考えられている。もう一種の比較的代表的な解釈は、つまりこれが文字の前身、または文字の萌芽(ほうが)状態であると言うこと。こういう観点の学者は「日月山」符号を「旦」や「昊」「炅」などの文字に解釈している。太陽、雲気、山峰、火炎(焰)は太陽が登ってくる明るい光景であり、暗い夜から明け方まで煌々と燃える光でもある。

不完全な統計ではあるが、大汶口文化後期からは30例余りの刻符のある大口尊が出土している。完形や修復の完成した20件余りが出土している。これらの刻符は甲骨文よりも1,500年以上古い。文字は文明社会の到来を象徴する要素である。「日月山」の組み合わせのほかにもたくさんの図像がある。

その他の刻符の例としては、左から右へ「斤」「戌」「旦」などの文字と解釈されている。
一刻みごとが、文明の曙の光明である。
月面探査と、宇宙の謎の解明は、人類共通の追求である
古代人遠く日月星辰を眺めて、心中感嘆するばかりでなく一種憧れを抱いたかもしれない。天から人類の故郷がどういう眺めであろうかと、考えたことがあるのかは知らない。

古代神話から現代の航空宇宙まで、人類は天に対して美しい憧れが満ちていた。山頂のあの片雲を眺めて、太陽の方向に向かって、同じ月を眺める。
「日月山」図符を凝視すれば古代人に一歩近づくであろう。


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