中国で最も早く価値を記した銀貨は金代の鋳造であった

中国史上、銅銭が主要流通貨幣であった。金代には白銀で流通する貨幣を鋳造するという大胆な試みが行われた。今日は承安寶貸銀貨について学びましょう。
01 中国で最初に流通した銀貨はどのようなものであったか。
金代初期には、銅貨、紙幣、銀貨の三種が併用されていたが、北方では貨幣鋳造の銅資源が欠乏して貨幣の不足が深刻であった。紙幣は発行過多であり、価値を暴落させた。一方で戦争や掠奪、「年貢金銭」などにより、金代の国庫には大量の金銀が累積した。こういう状況で、金代には両替通貨の不足を補填する方法として貴金属を貨幣に充当する方法が考案され、そこで承安寶貸銀貨が誕生した。金の章宗の承安二年(1197年)から鋳造したので、「承安寶貨」と呼ばれる。

銀貨は鋌(延べがね)の形で、腰窄ま理であり、上部中央に楷書の年号)承安」と横並びにたがね彫りにされている。
「寶貨」は本来「承安」と共に彫られるべきであるが、延べかねの面が狭いので立てに彫られているので、読む時は連続して「承安寶貨」という。銀貨の胴部には楷書と印記が刻まれ、右側は「寶貨壱両半」、左側は「庫口」「部口」、辺縁は三筋の水波紋となっている。

貴金属貨幣に銘文を鋳刻することは中国の古代からの悠久の伝統である。銘文の「壱両半」はこの銀貨の価値であり、またこの銀貨の実際の重量であり、当時の価値は銅銭3,000文であった。「庫口」「部口」の区別は当時の「交鈔庫(両替局)」の「検印」と戸部(財務局)の「再検」印であった。中国の古代の丁銀の純度は一般に95パーセント以上であった。職人等の声明を丁銀の銘文に刻むことは、つまりは手抜き作業の発生を防止するためであった。
02 裏側の凸凹は鋳造不良でしょうか。実はこれは偽造防止の印である
承安寶貸銀貨は実際には丁銀の一種であり形式は唐宋代から継承されている。形式については丁銀は、船形、棒型、餅型に区分できる。形式の事なる丁銀はそれぞれ異なる名称がある。宋代の丁銀の形状には固定の様式がなく、中でもくびれた形状が最も一般的であり、宋代以降の丁銀の主要な様式となった。承安寶貸銀貨の裏側と側面には多くの凹みや小穴がある。

これは鋳造時の不均衡に容るものでしょうか。実はこれは偽造防止の印である。
熔銀を注ぎ込む時に、発生したガスが溢れ出て、丁銀の側面や底部に、俗に蜂窩(ハチの巣)と言う気泡が発生する。蜂窩は現在では丁銀の色と真贋を鑑定する重要な参考基準となっている。
03なぜ「承安寶貸」が発行されたのか?その理由を解明します。
金代の「承安寶貸」銀貨は、中国貨幣発展史上初めて白銀を材質とし、正式に発行された法定貨幣であり、現存する記録の中で最も古い、直接流通に使用された銀製の記値貨幣(記値とは、貨幣の額面価値を明記し、価値尺度を示すもの)です。

当時の発行目的は主に二つありました。一つは軍隊の給与(軍餉)を支払うため、もう一つは細かな銀片を代替して、交換を便利にするためでした。ただし、これは商品経済が高度に発展した結果ではなく、軍費の増加や財政難といった困難な状況下で採られた緊急措置でした。更に、発行後には私鋳(私的な鋳造)が横行し、偽貸が蔓延したため、僅か三年間流通したのみで、朝廷は鋳造停止に追い込まれ、使用も中止されました。

中国古代の銀貨は、長らく重量を量る「称量貨幣」の伝統を破れずにいましたが、承安寶貸では銀貨に額面価値が明記され、細かな銀片に代わる重要な役割を果たしました。これは、銀貨における新たな突破であり試みであり、中国貨幣史上において重要な地位を占めています。古代の貨幣や経済制度を研究する上で、非常に貴重な実物資料でもあります。


承安寶貸を通して、金代の貨幣の形態、官職制度、経済地理だけでなく、それが社会経済の発展過程において果たした重要な役割についても深く探究することができます。
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