フレンドリー山東(威海李君)

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
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銅の鏡よ銅の鏡、この世で一番美しいのは誰?

フレンドリー山東(威海李君)

古代中国には現代の「記者」に当たる職業はありませんでしたが、それに似た役割を担う人々がいました。

それが「采詩官(さいしかん)」です。彼らは各地を巡り、民間の歌謡を収集しました。中国最古の詩集『詩經』の中でも、『国風』と呼ばれる部分はこのようにして集められた詩です。

今回ご紹介するのは、その詩經が刻まれた「詩經銘文鏡(しけいめいぶんきょう)」です。

美人讃歌が刻まれた・特別な銅鏡

銅鏡は古代に良く見られる工芸品ですが、人を称賛する詩が刻まれた銅鏡は非常に珍しいものです。

この銅鏡の外縁には、『詩經』の中でも有名な篇『衛風・碩人(えいふう・しょくじん)」の詩句が刻まれています。

この「碩人」は、言わば美人文学の始祖とされる作品で、特に有名なのが以下の一節です。

「巧笑倩兮,美目盼兮(巧みに笑えば愛らしく、美しい目がくるくると輝く)」


詩の誕生背景:この詩の誕生は、紀元前753年の吉日、衛の国では絶世の美女、斉の長公主・**莊姜(そうきょう)**でした。その美しさに驚いた衛国の人々は、感動の余り民謡を口ずさみ始めました。その歌がちょうど各地を巡回していた采詩官の耳にとまり、後に『詩經』に収録されたのが『衛風・碩人』です。


『衛風・碩人』は、荘姜の美貌を大きく称賛した詩であり、後世における美人を詠ん(よむ)だ詩の先駆けとされています。『陌上桑』や『洛神賦』と言った後世の名作にも、この『碩人』の影響を見ることができます。清代の学者・姚際恒は、この詩について「古今の美人讃歌の中で、これに勝るものはない。正に絶唱である」と高く評価しました。


この銅鏡には、その『衛風・碩人』の一節が刻まれています。もしかすると、鏡の持ち主も、鏡に映る自分の姿を見ながら、そっとこの詩を口ずさみ、あの絶世の美人に思いを馳せ、「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」とつぶやいたのかもしれません。

銘文に記された「魯詩」は、失われた貴重な系統

この銅鏡は、武漢博物館の代表的な収蔵品の一つです。詩經が刻まれた鏡自体も珍しいものですが、特に注目すべきは、刻まれている内容が現在では失伝している『魯詩』の系統に属すると言う点です。

前漢の武帝は、「罷黜百家、独尊儒術(百家を廃し、儒教のみを尊ぶ)」の方針を掲げ、詩經を儒教の経典の一つに位置づけました。これにより、詩經の学問は複雑の流派に分かれて体系化され、主に魯詩、斉詩、韓詩(いずれも官学的系統)と、学界で後に主流となる毛詩という四つの学派が存在するようになります

この銅鏡に刻まれた詩文は、現在では資料が殆ど残っていない『魯詩』の流れを伝えるものであり、正に「沙海の遺珠」と呼べる文化財です。


『詩經』は、中国の先秦時代に成立した最古の詩歌集であり、民間歌謡や宮廷の儀礼歌などが含まれています。宋代の儒学者・朱熹は、この『詩經』に対して『詩集伝』という注釈書を著し、以後の儒学解釈の基礎を築きました。

様々な理由から、『魯詩』『斉詩』『韓詩』はいずれも失われ、文献学の世界における長年の遺憾とされています。しかし、「鉄の靴を履いても見つからなかったものが、思いがけないところにあった」というように、ある無名の鏡職人が、何と『魯詩』系の詩經の名篇を、この銅鏡の上に永遠に刻み残していたのです。


銅鏡の鏡面の摹写

それは詩への愛によるものだったのか、それとも顧客からの特注によるものだったのか分かりません。けれども、この職人の何気ない仕事が「思いがけない幸運」となり、私達は2,000年以上前の『魯詩』版『衛風・碩人』の本来の姿を垣間見ることができるのです。

銅鏡の背面に描かれた、漢人が思い描いた仙界の世界

この直径14.8センチの銅鏡の背面には、『詩經』の銘文だけでなく、東漢時代特有の豪華な文様も施されています。具体的には、鏡の縁を一周する銘文のほか、中央から外側に向かって配置された「重列式高浮彫」の神人・神獣の図像が見られます。


この詩經銘文鏡の主文様には、仙人や羽人(翼を持つ人)、青龍、白虎など、合計19体の神人・神獣が刻まれています。中でも注目されるのは、鏡の中央のつまみ(鏡鈕)の下に表現された、神格化された「孔子が老子に道を問う」場面です。

孔子が老子に道を問う

孔子が老子に対面するこの場面が、他の仙人達と共に神聖に描かれていることは、当時の人々にとって両者が既に「神仙に近い存在」として捉えられていたことを示唆しているのかもしれません。


漢代画像石の中の孔子が老子に道を問う。

『衛風・碩人』は、創作されてから「采詩官」によって採集され、『詩經』に編纂され、更には鏡の背面に刻まれるまで、長い時を経て今日に伝わってきました。

取り分け『魯詩』系統の『衛風・碩人』は、数千年の歳月を超えて、私達の目の前に姿を現し、嘗ての美しい記憶を静かに語りかけています。


武漢博物館には、詩經の持つ美しさ、鏡を鋳造した匠人の誠意、そして先人たちの願いが、密やかに息づいているなかもしれません。