フレンドリー山東(威海李君)

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朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
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青島サウルす命名の故事

フレンドリー山東(威海李君)

2012年、有名な古生物学者董枝明等12名の専門家で組織された選考委員会が中国常州での第一回国際恐竜祭で公表した「中国百年十大有名恐竜」リストの中に青島サウルス(青島竜)がある。

青島サウルスはその発展の歴史と特殊な外形から中国で最も有名な恐竜の一つであるが、果たして何人が青島サウルスが青島で産まれていないことを知っているだろうか。

青島サウルスのフルネームは青島サウルス・スピノリヌス(Tsintaosaurus spinorhjnus)で、種名の「スピノリヌス」は頭骨上のその細長い骨棒に由来する。青島サウルスは中国の古生物の歴史上十分特殊な地位にあり、それは新中国成立後に発見された最初の恐竜であった。生存年代から見ると、青島サウルスは白亜紀(はくあき)の山東に生活し、有名なハドロサウルスに属す。

青島サウルスはある種体形のやや大きい恐竜で、頭部はゾウと変わらず、その体長は6〜8メートル、高さ約3メートル、体重は2〜5トンである。

青島サウルスの頭には一つの扁平(へんぺい)な頭部を持ち、一対の小さな目は頭の両側にあり、その頭の頂上には一つの骨質の棒状の棘(とげ)があるが、これが明らかにそのほかの恐竜とは違うところである。この骨質状の棘の作用について古生物学者の説は一定しておらず、あるいはそれは神経冷却(れいきゃく)器官であると考え、またあるいは装飾品に過ぎないとしている。遠方から見れば、青島サウルスは、頭上に一角を伸ばした、伝説中のユニコーンのようである。

特徴的な棒状棘を除いて、青島サウルスはその他のハドロサウルス科類と大した区別がなく、彼らには皆アヒルのような扁平な大嘴があり、歯牙(しが)は頰部(ほおぶ)に面しており、青島サウルスの歯は数百に達するが、彼らはこの歯を使って軽々と固体食物を磨り潰し(すりつぶす)て、その後腹の中に飲み込んだ。

青島サウルスの体形は壮大で、その前脚はやや短く、後脚はやや長く、通常は四足(よんそく)走行(そうこう)であり、危険に遭遇した時には両足で奔走(ほんそう)する。青島サウルスの後には太くて長い尻尾があり、このような大きい尻尾(しっぽ)をまっすぐ空中に跳ね上げ、身体のバランスを保持している。今日のゾウのように、青島サウルスも群棲(ぐんせい)する動物で、彼らは数十頭が一緒に集まり、一緒に移動して、一緒に餌を探す。

一般人の印象では、青島サウルスは青島で発見したと決めつけているが、実際はさにあらず。青島の都市名を持って名と為す青島サウルスは実際は煙台莱陽で発見されていて、その命名に関しては興味深い歴史がある。

1950年春、古生物学者の周明鎮博士は山東大学の地質学部の学生を指導して莱陽呂格莊金岡村将軍頂と金崗口で野外地質訓練を進めた。訓練中に、教授と学生は思いかけず多くの骨格(こっかく)と卵の化石を発見した。新中国建国後始めの大型化石の発見であったので、ニュースはすぐさま北京に届いた。楊鐘健先生はすぐさま研究員を引き連れ山東大学の地質学部と協力して、1951年に再び莱陽に来て以前化石を発見した地点で発掘をさらに進めた。発掘の結果、研究員は比較的完全な恐竜化石を発見して、これらの化石は当時の山東大学の所在地青島に運ばれ、研究員らはすぐさま化石を組み立て、この化石を基本として小規模の恐竜展を挙行したが、大きく世間の注目を引いた。

莱陽で恐竜を発見したニュースは、当時北京自然博物館の研究員は気が気でなく、彼らはすぐさま調査隊を組織して莱陽に向かわせた。

1958年になって、北京自然博物館の研究員は金崗口村でも一揃いの恐竜化石を発見したが、この化石は以前に発見したものよりもさらに揃っていた。新発見の化石はのちに北京自然博物館の注目の宝となり、今日まで館内に陳列されている。

恐竜の化石は発見され、恐竜の骨格も組み立てられたが、新恐竜長い間名称がなかった。古生物の命名の原則に照合(しょうごう)すると、もし地名を使用して命名する場合は、通常は化石の発見地を以て準じるので、この新恐竜は当然「莱陽竜」と呼ぶべきであり、莱陽は行政区画上では煙台に属する。しかし研究を指導した楊建春は、化石は莱陽で発見したとは言っても、化石を所有した研究作業と復元展示作業は皆青島で完成したので、合同作業に参加した山東大学も当時は青島に位置していたという自己の考えがあった。以上の考えから、1958年に楊建春は正式に新発見の恐竜の命名を青島サウルスとして、ここに至って青島サウルスの名が最終的に確定した。

前段で青島サウルスが中国古生物学の歴史上に非常に重要な意義あること言及したが、その意義は発見のみならず、その影響にもある。

青島サウルスの化石が青島で展示された時、一人の13歳の少女が初めてこの種の先史時代の巨獣に真近(まことちかし)で接触したが、彼が即ち「中国龍王」の称のある董枝明である。威海生まれの董枝明は1951年に青島一中で一年であったが、青島サウルスの発見は当時恐竜展で初めて恐竜を見て興味深々とさせ、当時彼は地球上にこのような奇異な生物が生存していたなんて信じられなかったので、恐竜に夢中になった。その後董枝明は勉学にいそしみ、最終的に世界でも有名な古生物学者となり、彼はまた現在の世界で最もたくさん恐竜に命名した人でもある。そればかりでなく、董枝明が中国古生物学研究上突出した貢献のあったことを記念する為に、多くの恐竜が彼の名にちなんで命名された。

煙台地区で言えば、青島サウルスの発見は決して一例ではなく、その化石の発見された莱陽金崗口村では、研究員は同様にハドロサウルス科のタニウスのほか、ティラノサウルスの牙歯や恐竜の卵とそのほかの動植物化石を発見している。

探査の結果、研究員は山東莱陽、諸城から莒南に至る長さ600キロメートル、幅約50キロメートルの細長い地域を確定し、これが典型的な中生代白亜紀晩期地層であり、「恐竜帯」と呼んだ。8,000万年前に、山東半島にはかつて巨大な盆地が存在し、この盆地は名を諸莱盆地と呼んだ。当時の諸莱盆地は亜熱帯気候に属し、気候は温暖、空気は湿潤、盆地中では巨大な植物が成長し、大変動植物の生存に適合していた。化石の記録によると、諸莱盆地はかつて大型恐竜の故郷であり、絶えず発見される巨大な化石はこの点をさらに進めている。

近年の諸莱城地区では集中して諸城ティラノサウルス、諸城角竜(ケラトプス類)、ファシャグナトゥスを含む大量の恐竜化石が発見され、中生代時期の山東半島がかつて恐竜の楽園であったことを証明している。

現在、中国科学院古脊椎(せきつい)動物と古人類研究所の研究員が莱陽地区で大範囲の発掘を行なっており、遠くない将来かつて青島サウルスと生活を共にしていた恐竜たちが日の目を見るであろうと信じられており、豊富な煙台地区の恐竜の発見と研究は、あるいはいつか煙台の名を恐竜に付けるであろう。

著者 煙台 李慶盛