フレンドリー山東(威海李君)

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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どれ一つ同じもののない200頭の馬、1,400年余り前の馬画専門家が描いた珍しい「目立ち屋さん」

フレンドリー山東(威海李君)


本日は世界自転車デーである。現代人は乗ると言えば自転車であるが、古代人は何に乗ったのか。

1,400年余り前の「乗馬装備『鞍馬游騎図』」を知る三つのポイント(スマホを反時計回りに9度回転させてご覧ください)。


この眼力に見覚えはありますか、馬隊の「注目株」が集合。

流行の髪型、セクシーな目つき、古代人が乗馬する姿を見ては数えきれないが、中でも最も目立つにはこの両「演技派」である。


初めに登場するのは「中分け」髪型の栗色馬である。炯炯と輝くその瞳をどこかで見たことはありませんか。間違いなく世界的名画『モナ・リザ』と同じの魅惑の眼差しである。どの角度から見ても、それはあなたを見つめていること間違いない。


更に視線を右下に向ければ、「御者のいない」鐙だけがある。もともと空の鞍の馬は壁画中で生死転回の叙事的ロジックを暗示するもので、死者を昇天させるための準備の意味がある。同時にまた墓の主人の風格と権勢を物語っている。更にもう一つの「注目株」を見ると、その「メジャー」となる秘密はリアルさえある。どれほどリアルなのか。画面には珍しく馬糞が現れる。


馬は首を高く上げ、前足を空中に躍らせ、後足を地面に踏ん張り、濃灰色立髪は逆立ち瞳孔を開いて上を見上げている。前方で「交通事故」が起こったように、驚いて糞便を巻き散らしている。近づいてミレア、糞玉の数枚で数えられるほどである。


この絵師は動物の習性を理解していたばかりでなく、細かな観察力と、ユーモアと大胆さを兼ね揃えていた。この「興味深い」馬は、大変印象に残る。

これは中国の技術史を塗り替え、北斉壁画の空白を埋めた。

『鞍馬遊騎図』は北斉婁㕡墓壁画の代表作であり、2002年に初の出国(境)禁止の展観禁止文化財に指定され「中国美術史」を書き換えた傑作と称賛されている。全体は三枚の画面により構成され、第一面は鞍馬導引図である。


中間の画面には騎馬隊列が集中して描かれているが、画家は伝統的な絵画の「遮蔽法」を採用している。


馬と人物の間の前後交錯する関係を通して、巧妙に空間の奥行を作り出し、画面を緊密に集中し、隊列の壮大な気勢を展開し、最初と最後の画面と対比させている。


この画面の構成は古代の貴族の外出儀礼の規則に符合しており、また北朝壁画の卓越した技巧と芸術表現力を展開している。単線の輪郭、色彩の濃淡、動的連携、透視などの技法が相互に組み合わされ、人物や馬を迫真の出来栄えであり、「形を以て(精)神」を捉えるという絵画思想を具現化している。


墓主が鮮やかな衣装で怒馬に乗って出かける様子を描き出し、北方の遊牧民族の風土や人情を映し出しています。総面積200平方メートル余り、71点が現存する婁叡古墓壁画は、墓主の生前の多様な生活場面を描写している。両晋時代から隋唐時代へ、北朝絵画の最高水準の代表作であり、中国美術史上の北斉壁画の空白を埋めるものである。

誰の作かといえば、北斉の「画聖」楊子華の手によるものかもしれない。

これらの壁画は北斉の宮廷画家の誰かの作と推測する人もいる。それはいったい誰であろう。騎馬人物の描画に優れたと有名なのは、当時「画聖」楊子華と言われた。彼は北斉の名門武成帝高湛の時に、直閣将軍(近衞将軍)、員外散騎常侍(侍臣)であった。婁叡の壁画の200頭余りの馬は、一頭として重複するものはなく、多様な姿態である。あるいは彼の仕事の環境も影響して、楊子華は宮廷から重用されており、「勅許がない限り外部の人物に絵を描くことはできなかった」のである。しかし墓の主人婁叡は鮮劣の名族婁氏の家系であり、その伯母は北斉の世祖高歓の皇太后婁昭君であった。このため楊子華が婁叡の墓室の壁画を製作の命を受けた可能性は高い。張彥遠『歴代名家記』に「(楊子華は)嘗て馬を壁に描く、よる 蹄嚙(ていげつ)長鳴を聴くこと、水草を索(もと)むるが如し。龍を素(白絹)に図す、舒卷(じょげん=広げる)すれば輒(すな)わちうんき縈集(えいしゅう)す。」という言葉がある。

唐代の画家 閻立本は嘗て「人を象りてより以来、その妙を曲尽し、簡易にして美を標(あら)わし、多きを減らすべかざりて、少なきを逾(こ)えるべからざるは、其れ唯だ子華のみか。」と評価した。

これらの歴史的文献は楊子華が写実的手法で鞍馬や人物を描くことに優れていたことを記録している。


宋代の模写という『北斉校書図』は今日唯一見ることのできる楊氏が腕まくりして描いた画であり、婁叡の壁画の風格と異曲同工の趣きがある。

鞍馬は塵土を踏みしめ、千年の時を凝視している。気𩐳生動の凄艷(=生命感溢れる色鮮やかさ)な筆致を通して、北方遊牧民族の騎馬スタイルを感じて、中国古代絵画の時空を超えた永遠の魅力を堪能することができる。