山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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済寧: 天下漢碑のミヤコ


済寧は中国儒家文化の発祥地で、歴史文化は悠久で、文物古跡も数多く、最もその書法と絵画の芸術は、人に感嘆させて止まなかった。

「天下の漢碑は済南に中半す」の説は、済南地区に残存する漢碑の数量が全国的で最たる(さいたる)ものである。計ると、済寧地区に現存する漢代碑刻は38種類の多くあり、中国漢碑の存在量の半数以上に占める。

「済寧の漢画像石は天下一」、済寧地区は中国の漢の画像石の重要な産出地で、地内の画像石は2,000石余りに達し、数量の多さ、種類の完全さは、その名に偽りがない。碑刻は最も真実で、最も堅実な文化芸術を支えており、歴史、文学、書法、彫刻を一体に集めた、中国の先人が済寧人民更に中華民族に残した一筆の巨大な財産である。

俗に「漢碑の三文字は宝なり」とは、年代が久遠(くおん)であるほど価値があること。立碑の記事は漢代に遡り、漢字の成熟は漢隷の形成の重要な段階を離せない。

漢字は「隷変(隷書化)」八分(波磔書はたくしょ)は、漢字は初期の篆書の円転な筆勢から筆の折り返しで四角い字とする隷書は、円形から方形へ入り、煩雜から簡単となり、楷書の出現と流行のための基礎を固めた。曲阜孔廟所蔵の前漢『北陛刻石』『五鳳刻石』は漢字が篆書から隷書に入る初端を体現している。済寧市博物館に所蔵する『禳盜刻石』は、刻された字体は一種の篆書体を交えた古隷である。曲阜孔廟所蔵の『乙瑛碑』『礼器碑』『史晨碑』は孔廟三大名碑というべきで、書体の風格はそれぞれ異なり、隷書成熟時期の代表である。『乙瑛碑』の字体は美しく雰囲気があり、「(筆勢の)骨肉が適当で、感情や文字が流暢であリ」、漢代隷書全盛期の代表作品の一つである。『礼器碑』の字体は清楚で強健、秀麗で人に厳かで恭しく超越の感を与え、その筆画は細く力強くたくましく、終筆の折り返しは様々で、刀法は剛俊、精美抜群で、正に漢碑古典の作である。『史晨碑』の字の結構は品格方正で、筆勢は重古充実しており、端正で重く勇健で美しく、漢碑の逸品である。

後漢漢碑拓片ーー乙瑛碑(モト曲阜漢魏碑刻館蔵)

済寧市街北部郊外の蕭王荘の前漢任城王墓の玄室石壁は、単体の刻石800余りで、文字は4,000文字あまり、刻銘の内容は多くは当時の石工と石を送った者の地名と人名で、その隷書の書風から、漢代に民間書法の徳得な風貌を集中して世人に向け展観し、高い学術的価値と芸術的水準を持っている。

北宋より以来、学者の済寧漢碑を著録、詳説した文献は数十品種を下らない。歴代の書法家は研究を通して、書芸を高めた。中国隷書の誕生、発展、進化の全過程を一貫する済寧漢碑は中国の重要文物にリストされ、それらはまるで一粒一粒の真珠のようにこの済寧で豊かな人類文化の蓄積した肥沃な土壌で熠熠と光輝いている。


済寧博物館館蔵の漢碑

漢画像石は中華民族の芸術宝庫中の重要な文化遺産で、それは漢代時期の彫刻、絵画、建築、装飾芸術と工芸設計などに発展の水準を充分に体現している。漢の画像石の題材は豊富多様で、漢代社会の規制制度、衣食住・職業、神話故事、風土・人情を生き生きと描き、当日の社会生活の真実を再現している。漢の画像石は漢代文化が最も備わった代表性のある芸術作品である。芸術形式上では、それは上は戦国絵画の古朴な風を受け、下は魏晋の容貌を開く芸術の源流で、中国絵画の基本法規と規範を基礎固めした。漢代の画像石は殷周の青銅器、南北朝の石窟芸術、唐詩、宋詞同様に、それぞれ風雅を数百年リードし、中国文化芸術の傑出した代表と文化芸術の宝石となり、中華民族芸術宝庫中できらめく真珠である。漢の画像石は全中国で済寧の発見が最も多い、済寧の漢の画像石の芸術風格は素朴な重厚を以て特徴とし、古風に満ちている。

済寧市博物館の画像石のように古拙(小説)で素朴なのは、極めて浪漫の美を抽象的に備えている。鄒城画像石は大胆さを誇張(こちょう)し、彫刻は大刀で処理され、豪壮雄大である。嘉祥画像石は精緻で緻密で、線条は流暢で飛翔している。先人は曰く「ただ漢代の芸術は、広く奥深い」と言い、漢人の石刻は気迫が奥深く雄大である。

漢代の画像石の題材の内容は十分に広範であり、大きく神話伝説、歴史故事と社会生活の三種に分けることができる。神格化伝説類は仙境の人物(西王母、東王公、雷神、風伯、雨師、海神、伏羲、女媧など諸多神霊)、神鳥怪獣(龍、金蟾、玉兎、三足烏、九頭人面獣など)の芸術現象は、素晴らしく美しく精彩である。歴史故事は内容が豊富で、最も代表を具備するものは、孔子と老子の会見、周公の成王輔佐、泗河に鼎を掬う(すくう)、呉の季札王が剣を掛ける、秋胡が妻に戯れる(たわむれれる)である。社会生活類は漢代生活の多くの場面、車馬に関連する出行、人物会見、水汲み、醸造、調理と宴会、農耕と紡績、狩猟捕獲、音楽、舞踏、技芸一般、武術ろ格闘、軍事と戦争、楼閣橋梁など、漢代の社会的生活を反映した「百科事典」というに堪える。

後漢画像石拓片--孔子と老子の会見