一 設行建点 モービル製油会社は、アメリカロックフェラー財団に属し、1870年にジョン・ロックフェラーの創業。1877年に初めて石油を中国に運び、1894年にモービルが煙台で、「モービル洋行」と称し、煙台山下の海岸街32〜33号の住所で、実施した。 実施前には、「盛昌」号と礼和公司が共にモービルの... 続きをみる
2022年2月のブログ記事
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近代煙台の東海岸に、かつてランドマーク的な建築物が屹立(きつりつ)していて、それはゲストハウス(Family Hotel)であった。ゲストハウスは近代煙台で大変影響のある外交旅館であり、イギリス人エドワード・ニューマン(Edward Newman)が創設し、その家族が20年間経営した。ニューマン一... 続きをみる
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クレーグル( Christian Kroger、1903〜1993)はブッセ二女のエーリカ(Erika Busse)の夫である。ブッセと妻のドーラは3人の女児を生育し、彼女らは皆煙台で生まれた。長女ゲルトルート(Gertrude Busse)は1908年生まれ、1931年8月8日アメリカ駐廈門副領... 続きをみる
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煙台に滞在中に、ブッセは後に「中国のシンドラー」と呼ばれるジョン・ラーべを接待した。 ジョン・ラーべ(John Rabe)、ドイツハンブルグの人、1908年8月18日に北京に来てから、あるドイツ商店の販売員であった。1911年、ドイツのシーメンスの駐天津支社で会計兼文書となり、後に北京支社支配人に... 続きをみる
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ブッセは煙台の老舗の経営者で、煙台に40年余り住んで、深く煙台の社会生活に関係した。彼は「中国のシンドラー」と呼ばれるジョン・ラーべ(John H.D.Rabe)と深厚な交誼があり、その聟(むこ)は南京大虐殺中に中国人を救出するために積極的に奔走した。 煙台港拡張のための建議 盎斯洋行は近代煙台の... 続きをみる
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近代の煙台商業に言及するには、盎斯(アンツ)洋行を避けられない。盎斯洋行は近代煙台最大の外国商社の一つで、1886年ドイツ人アンツが朝陽街に設立した。盎斯洋行が盛況の時、煙台の落花生の輸出業務を独占し、例えば煙台最初のレントゲン装置は盎斯洋行が輸入してフランス病院(現在の煙台病院)に納入(のうにゅ... 続きをみる
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一 盧溝橋事件前に、機構には領事館、大連洋行(商社)、日本国民小学校、火葬場、三井洋行があり、これらの機構では日本の作業員と家族がいた。 また市の中心ではない場所に分散している高麗人家(ヘロインの小売りを専門とし、麻薬中毒者も保護した。中毒者が最初警... 続きをみる
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和記洋行は煙台開放後イギリス人が設立した商社の一つで、主に輸出貿易と海運の代理業務を経営し、盛んな時期には煙台港の海運業と保険業務を独占した。その素晴らしさの背後には、 エックフォード家族の苦労と努力が満ちていた。 エックフォード家族のA.エックフォード、V.エックフォードとR.エックフォードは前... 続きをみる
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ディクソン 青州の医学活動は1880年に始まり、早期に青州に来たイギリスバプテスト教会の医学宣教師メドハスト(Medhurst)、ハーバート・ディクソン(Herbert Dixon)、サワビー先生(Mr.Sowrrby)とターナー先生(Mr.Turner)が都市と農村で単独に遊歴して医者をした。光... 続きをみる
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旅順白玉山の表忠塔は1909年11月28日の落成式典ののち、毎晩夜通し灯火が点され、戦死者亡霊の永遠の不滅と、御霊の故里への望郷の道を照らす寓意(ぐうい)があった。 上面のこの写真は珍しいもので、哲学的な詩的な文字が配置されている。写真は龍河の河口に懸けられた日本橋と、さらに山上を照らす灯火が表忠... 続きをみる
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青州市は、山東中部に位置し、山東省の統括する県級都市で、古代九州の一つであり、1986年に元の益都県から県を撤廃し市を設置した。 アヘン戦争後に、清朝と各国代表は協議を取り交わし、宣教師達が合法的にかつ円滑に中国内地に入り込み布教を進行することをできるようにした。およそ1860年ごろ、英米両国のキ... 続きをみる