山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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2021年4月のブログ記事

  • 東海関の設立と運営

    煙台開港以後は次第に山東半島の政治経済の中心となっていった。煙台も福山県の管轄する地方の一隅であったものが、構成と、地位では逆転を実現した。 しばらくの間に、煙台は中国の政治、経済の舞台上で一定の影響力を発揮して、東海税関、登莱青道(山東省)などの役割が各界の注目を集めている。 東海関道(道は行政... 続きをみる

  • 煙台のミルズ家族シリーズ故事

    1920年5月7日、イギリスのパイロットが操縦した「ハンドレページ式飛行機が、北京南苑空港より離陸、1時間で天津佟楼競馬場に到着する。 機上には、交通部の代表3名と中国駐在イギリス公使を含む15人が同乗し、午後の飛行機で帰京した。 今回の初飛行を記念して、郵政当局は初飛行記念印を作って、初飛行期の... 続きをみる

  • 芝罘領事館の日本人スパイの名簿(百年前)

    日本のスパイのことは、近代中国史の研究に避けられない内容である。 早くは日本の明治維新の頃、日本の「脱アジア西欧列強入り」で世界強国に分け入り中国は仮想敵国となり、大勢の日本のスパイや公人身分、あるいは私的な身分で中国に潜入し、日本政府と軍部の為に計り知れない量の各種の情報を探った(さぐる)。その... 続きをみる

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  • 日占時代の東海関(ニ次世界大戦の東海関)

    1938年2月3日、日本軍は煙台を占領した。煙台に対する7年半に及ぶ統治が始まった。 この間、近代税関元老の王文挙(王亜居)は東海関税関で6年間に及ぶ勤務し、最後は東海税関副税関司長官となった。彼は回顧録の形式で煙台でのこの間の経歴を記録していて、又後人のためとなる東海税関の重要な歴史資料を残した... 続きをみる

  • イギリス租借時代の劉公島摆渡のサンパン(舢舨)

    サンパン(舢板)は過去の地域の海岸で良く見られた一種の簡単な小型木船で、製造が簡単で、使いやすく、動きが機敏であるなどの優点を備えていたので、海上の人員の渡岸や貨物輸送に用いられた。 北洋艦隊の結成地で日清戦争の戦場となった劉公島は、威海湾内に横たわり、距離は市街から21.1海里である。1898年... 続きをみる

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  • ネビウス人生の最後の記事

    ネビウスは、近代に中国に来たアメリカ長老会の宣教師である。 彼は1854年に中国に来て、当初は上海、寧波、杭州で伝道し、1861年に登州府治の所在地蓬莱に移転し、1871年に煙台に移住した。1893年、ネビウスは煙台で病死、享年64歳であった。ネビウスは煙台に20年以上寄寓(きぐう)し、多くの面で... 続きをみる

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  • 己酉年の肺ペスト(煙台)

    1911年1月17日、旧暦の己酉年の師走(しわす)初七日、翌日は臘八節であるが、東北でペストが発生したという、人々を驚愕(きょうがく)させるニュースが煙台で急速に広まった。 このニュースは東北と海を挟んで向かい合う煙台人の肝を冷やしたのは、煙台がこのような打撃を受けるのは一度のみならずであったから... 続きをみる

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  • グローセン伝

    近代煙台が開港した後、多くの西洋人が中国沿岸に小さな町にやって来ました。彼らはビジネス、または宣教、または専門家として煙台で働いています。 その中には、フランスのカトリック病院(煙台山医院の前身)の外科医であり、東海関医務官であり、ノルウェーとスウェーデンの煙台副領事も務めるノーウェー人である。 ... 続きをみる

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  • 清・金農『古仏図』軸(煙台博物館蔵品)

    清・金農『古仏図』軸:縦250.8、横70。 図中の紅衣の古仏は、双眼を僅かに閉じ、穏やかで安定し、厳かである。袈裟は地面に付き、右手を捧げものように、紅布の下に覆われ、片肘(かたひじ)をあらわせに拱手(組手の礼)でたたずみ、説法の様子である。「遊糸描」で地面に及ぶ上着を描き、線条の起伏はうねりな... 続きをみる

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  • 北洋海軍の英雄:マクギフィン伝

    アメリカペンシルベニア州ワシントンタウンの公共墓地には、特殊な墓碑があり、上面には「謹んでこの碑を自己の祖国を深く愛する一方で、生命を黄龍旗に捧げた勇士の為に建立す」と刻む。この墓碑銘はフィロ・ノートン・マクギフィンに捧げられたもので、それは簡略な言葉でこの勇士の一生を概括している。マクギフィンは... 続きをみる

  • 八大山人「柏鹿図』

    煙台市文物商店所蔵の『柏鹿図』は、八大山人の代表作の一つであるが、『柏鹿図』は2008年12月北京匡時オークションで名を現し、1881万元(人民元)で落札された。 八大山人、姓は朱、名は耷、彼は明代皇族の末裔、大明王朝を偲ん(しのぶ)で、満州族の清朝統治を敵視して出家、僧となる。その絵画芸術の造形... 続きをみる

  • 煙台革命時代の日本友人(辛亥革命)

    煙台革命に対する日本友人の支援。 1911年の辛亥革命の間、煙台の革命活動は日本の友人から熱心な支持を受けました。日本人倉谷圭三は、徐鏡心の親友でした。辛亥革命以前は、煙台毓材学堂の教師として教育活動を通じて、学生に革新思想を伝えました。その後、日本の桑名貞次郞によって創刊された「芝罘日報」で記者... 続きをみる