山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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秦泰山刻石


秦の始皇帝が現在の山東省中部を巡遊した時に泰山に立てた記念碑(前219年頃)。現在泰安市の岱廟にある。その書は李斯の筆と伝えられ、秦篆小篆と呼ばれる。宋代に断片が発見され、元222字が存在したが。現在は10字ほどを残すのみとなった。変化に乏しいが、読むことができます。篆書の洗練された美しさがある。北宋時代の165字の拓本(書道博物館)に残っている。


秦の始皇帝が天下統一後3年目の即位28年(前219年)に泰山に立てた刻石。泰山の山頂で天を祭る封禅の儀式を挙行した際に立てた所から、「封泰山碑」とも言う。秦の徳を称えた頌辞を篆書で刻したもので、丞相の李斯の書と伝えられ、小篆の典型とされる。『史記』秦始皇帝本紀に載せる全文は、4字36句の計144字からなり、3句ごとに押韻する。後2世皇帝胡亥の時代に碑の側面に追刻がなされた。「秦二世刻石」紀元前209年、始皇帝の二世である胡亥皇帝、同時の丞相である李斯の書が刻んであります。李斯の碑とも呼ばれています。始皇帝の泰山での封禅の際に立石されたこの刻石は泰山の極頂にあったのですが、2000年の風雪のためかなり摩耗しています。封禅の「封」は天に対して感謝する儀式である。泰山南麓から登り、その頂に壇を設え天を祭る。同時に、頂上の石に始皇帝の徳を称えた文を刻み付けた。封禅の「禅」は地に感謝する儀式である。その後、北側に下山し、山麓の梁父と言う小さな山で、草莱を払って祭壇を設え地の祭りを挙行した。梁父山は即ち、斉の八神のの一つの地主神が此処に宿るの山であります。


私達の考古学者でも古代言語学者でもありませんが、漢字文化サークルの普通のメンバーとして2千年以前に、古代人から残されたフォントを簡単に識別できます。これは、他の国の書き言葉の歴史では殆ど想像出来ない事。また、中国の誇りに値するものです。2200年以上前、秦始皇帝が六ヶ国を統一後、中央集権的なルールを強化するために、「車は軌を同じく」と「書は文字を同じくす」に代表される一連の改革が実施され、中華文明の進歩は計り知れないものになりました。これらの二つの石片を過小評価しないで下さい。これには、国立博物館に保存されている瑯琊刻石(85語が存在)を除き、ほかの場所にはありません。それがどれほど貴重。秦刻石は国宝と呼ばれる。国の最高級文化遺物としてリストされ、歴代の学者に珍しい宝と看做されている。


文字を統一した秦当時、李斯自身の篆書体であるため歴史的に見て非常に貴重な文物となっています。史記の列伝にあるように李斯は始皇帝の中華統一に欠かせない立役者ですが、その直筆の文字が篆書の洗練された美しいさがある。