山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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台児荘古城


台児荘古城は中国山東省棗荘市の市轄区、江蘇省との省境に位置する。華北平原と魯中山地との間の大運河沿岸にあるため、古来、北の黄河水系と南の揚子江水系とを結ぶ交通の要所を占め、物資集散センターとして発展した。

2008年より大運河沿岸の歴史的な街並みを整備するなど、観光業の振興に力を入れている。2010年中国で最も美しい中国(山東)ブランド景勝地区トップに輝いたこともあります。2014年には、ユネスコにより「中国大運河」の構成資産として、台児荘運河(月河段)が世界遺産の文化遺産に登録されている。


京杭大運河は北京の積水潭から、南は杭州の拱宸橋に至るまで全長1794キロ、北京、天津、河北、山東、江蘇、浙江の6省・直轄市を経由し、海河、黄河、淮河、長江と銭塘江の五大水系を縦に貫き、全体的には南北に流れるようになっているが、山東省南部の微山湖以南を流れる1区間は明らかに東西方向の流れとなり、それは北京ー杭州大運河の最大の曲がりくねった区間ー台児荘運河と言われた川である。

明代、京杭大運河に新しい経路が開通し、南から来た船は台児荘を経由して都に入るよう定められました。「台児荘運河奏琉展館」の前の運河には台荘閘が設けられていました。


台児荘の四大の独特な歴史文化的価値

第一は、第二次世界大戦の遺跡が最も多い都市を見るには、台児荘の古城に来らればよい。台児荘の古城は53箇所の第二次世界大戦遺跡を保留し、世界で第二次世界大戦の砲火の洗礼を経て後最も多くのものを遺留する都市であり、中国で唯一の第二次大戦記念都市である。


第二は、運河文化の生きた化石、中国民居建築の博物館を見るには台児荘古城へ行かなければならないである。台児荘は南北過渡帯に位置し、「水陸埠頭」と呼ばれ、人の流れ、物流、情報流が激しく押し寄せ、文化の融合をもたらし、台児荘を八大建築家洋式の塊とし、72廟宇が一つの城に集まるの表式城にした。八大建築様式は北方大院、徽派建築、魯南民居、水郷建築、閩南建築、嶺南建築、欧風建築、宗教建築があります。72廟宇は世界主要的な宗教を含む天主教、キリスト教、イスラム教、仏教及び中国主要民間信仰的な道教、儒教と関帝信仰の各種廟宇であります。例えば文昌閣、関帝廟、泰山ニャンニャン廟、媽祖廟など。
第三は、北京ー杭州運河の最後の生きている運河を見るには台児荘古城へ行かなければならない。台児荘古城は、最後の3キロ京杭大運河の古代水路と明、清王朝古代のバージ、古代の桟橋、古代の閘門、古代の村を保持し、世界観光機関によって「生きた運河」と「京杭運河唯一の遺産村」として知られています



第四は、中国唯一の東方の古代水の町を見るには台児荘古城へ行かなければなりません。15kmのウォーター街ウォーター巷はヴェネツィアとほぼ同等で、古城の再建は、古代の観光スポットをボートで旅行できる、国内の水網の最も密集した都市となっています。



西城門

「天下第一荘」扁額は清代乾隆皇帝からの書であります。「中華古水城」は中国著名書家欧阳中石の書であります。西城門を潜ると台児荘古城に入りました。

参将署

皆さん、今、私達は、この古城を横断し、全長1000メートル以上の通りは、大衙門町です。
左側にあるこの官式の建物は、清朝の参将署、俗称は大衙門、通りは、一般的に参将署として知られており、その名前を得る。参将署は康熙22年(1683年)に設立され、清朝正三品参将行署、運河の水道の工事保護と輸送の治安を担当しています。清朝の参将は副総兵、現在の地方軍事副司令官に相当する。
皆さん、門の前の二本の旗竿を見てくだい。上には四角の容器に太平の二文字を刻んでありw、この中に五穀雑穀を入れ、主な御利益は一方の民の為五穀豊穣と天下太平を希求するのである。




扶風堂(京杭大運河漕運度量衡博物館)

明清時代の運河運輸の発達は、台児荘に又とない繁栄の機会をもたらし、各方面の商人がここに家を設置して、増え広がった。康熙〜乾隆全盛の時代には「燕、尤、趙、万」の四大家が大成した。万の旦那は山西の漢方医出身で、晩年には船運を生業に改め、最盛時期には官銀40万両を持ち、歴史的に「咸豊銭、四十万」と言われた。万の旦那はこの銭を使って我々の目前のこの晋様式の建築〜万家大院を建築した。
皆さん、大院の外周の屋根をご覧ください、この種の形式は「半边翹(片屋根反り)」と呼ばれ、一般的に「陝西の八不思議(の一つ)に、片屋根」というが、言っていることは、屋根が一方向に傾斜し、皆さんが通常見ている人字形に開いていない形状であることである。台児荘の降水量は陝西より多く、この種の独特な構造は防寒保温をし、雨が降ると、雨は基本的に自宅の中庭に流入し、いわゆる「肥水(こえみず)は外人の田に流さず)小便さえも他人の畑に入れない)」ということである。
二つ目には「家も半分に立てる」ことである。一つは関中の人は風水を重視し「肥水は外人の田に流さず」と考えているので、雨の日でも雨水を中庭に流し、二つには採光の便の為である。三つには関中地方の農民は余暇に「串門子(隣人と行き来する)」を楽しんだので、隣人に自分の持ち物を見られないようにこのように立てているのである。四つには、家々のトイレが家の背面に在り、昔は浄化槽がなかったので、基本的に糞便を「リヤカー」に積んで畑へ運んで肥やしにする便利と、通風を良くするためであった。
皆さん、正門の上の扁額をご覧になると、「扶風堂」の三文字が書いてありますが、万家の祖先はある漢方医であり、扶風はつまり漢方医であり、それで万家大院は扶風堂とも呼ばれる。額の上方の木彫には琴、碁、書、画が、下段には老人と児童が楽しむ場景が描かれ、万家の吉祥と円満、富貴幸福の情況を見ることができる。門前の左右両側には高さ1メートル余りの抱鼓石(門鎮)同様の石の杭があり、門当と呼ばれ、それは初大門を固定する作用があったが、後には身分、地位、家柄の指標へ発展した。門当と対応して、上面には二つの突起があり戸対を称した。古代には、門当の大小と戸対の多少は主人の身分、地位を決定し古くは一位から五位の官吏は六個の戸対、六位七位は四個、七位以下の富豪は二個を設置して来た。
万家大院は二進の中庭式で、大門を進入すると、我々の面前の長屋門の両側の木彫は大変精美で、リスと鈴なりのブドウが彫刻され、寓意(ぐうい)は「子宝」「多子多福」である。門前の垂帯石(階段欄干)はカボチャの造形で、万家の子々孫々が連綿とし、男子が旺盛となる寓意がある。
二進の中庭に進入すると、我々の正面には樹齢400年余りの古い銀杏の木があり、また公孫樹とも呼ばれるのは「祖父が植えた樹木は、子孫が恩益を受ける」と言われたからであり、中庭には元来二本有ったが、一本は戦火で破壊され、目前のこの一本が残ったのである。我々はもう一度古銀杏の根元の土壌面を見ると、旧市街の平均面より1米余り高く、この高く突き出た部分が台児荘の「台」であり、台児荘は地勢がぼんおり、またここは水量が豊富で、人々は通常高台を築造して居住した。この種の独特の方式から、この地方は台児荘と呼ばれてきた。


船形街至尊橋

船形街の至尊橋は「九五至尊(皇帝の権威)」の意味から取っている。橋上に立つと、前方が船形街であり、船形街は長さ110米、中央の幅は60米、周囲には水が環り、形は帆を建て航行する巨船に似て、「帆に風を受け、運航する大運河の舟」の寓意がある。史書の記載によれば、大運河が開通後は、毎年台児荘を通過する船舶は一まん隻の多さがあった。このように多くの船舶が台児荘を通過したので、ようやく台児荘は「天下第一の荘」となった。この船形街は無形文化遺産の展示販売地区であり、販売している無形文化財には東陽の木彫、濰坊の凧、瀘州の唐傘、山東のお面彫刻などで、無形遺産は山東の人民の知恵の結晶である。園内で展示しているものは、大運河沿岸にある無形文化遺産の展示もあり、またそのほかの地区の作品も、十分に大運河の包容力を秘めている。


閘官署(運河奏疏展館))

明代、京杭大運河に新しい経路が開通し、南から来た船は台児荘を経由して都に入るよう定められました。台児荘運河奏疏展館前の運河の傍には、台荘閘が設けられていました。それは都へ向かって北上する漕船(穀物を運ぶ船)が江蘇省から山東省に入る際に通過する最初の閘門だったため、「山東第一の閘門」と呼ばれました。しかし、船が都から戻る時は、従来のように黄河を利用しました。なぜなら、運河の湾曲した所の流れは急で、水位の落差も大きく非常に危険だったからです。台荘閘を通るのは、下流から来る船だけでした。
台児荘奏疏館の入り口の牌坊の額には「昇平」の二文字が揮毫されていますが、それは船が無事に閘門を通過し、道中無事であるように願いが込められているのです。

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