山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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洋風建築in青島(この街だけの異国情緒が魅力。)

碧海、藍天、緑樹、紅瓦という中国語の略語で表すように、中国の山東半島には青空と紺碧な海の中に、赤いレンガと緑の木に囲まれた綺麗な町➖青島がある。


  小青島

別名「琴島」と呼ばれるこの島は、一周しても10分足らず。青い海に映える純白の小さな灯台は1900年に建てられたもの。聳える姿が何とも優雅で、桟橋と並び青島のシンボルとなっている。
🔺琴屿路2号
🔺82863944



基督教堂

1910年に建てられた、市内で最も古いキリスト教会。ドイツ古城式建築のこの教会には時計台があり、建築以来今も時を刻み、人々に時刻を知らせている。大時計の内部の見学が可能。
基督教会は1910年、総督府と総督官邸の中間付近にある小高い丘の上に建設されました。ブロスタント教会は質素な作りが特徴です。この基督教会も確かに質素ですが、曲線を取り入れた非常にモダンな作りです。斜め向かいにある青医附属医院からです。此処にはドイツ統治時代に総督野戦病院が建てられ、これが今の青医附属医院に至っています。基督教会から信号山の入り口は歩いてすぐです。日曜の朝は礼拝のため、参観出来ませんのでご注意を。
🔺江蘇路15号
🔺82865970


  桟橋

青島を象徴する桟橋は、青島ビールのラベルデザインにも用いられている。もともと1891年簡易な軍用埠頭として作られたもの。先端に建つ八角二層の「回瀾閣」からは青島の美しい海と旧市街の街並みが一望できる。
桟橋は青島市南の臨海にある青島のシンボルです。元は前海桟橋、南海桟橋、埠頭と分けられており、全長200米、幅10米、表面は石で、橋の両側は鉄柵が備えてあります。青島で最も古い軍事用人口埠頭です。ドイツ軍に占領されてから、この桟橋は貨用埠頭となりました。
1901年5月の増築では、北側はコンクリートで舗装され、鉄柵はチェーンに変えられました。鉄骨と木材とよって、長さ350米まで延ばされ、軽便鉄道による輸送が便利になりました。貨物輸送が青島港まで延び、桟橋は船舶検疫や給水専用の埠頭となりました。
1931年から1933年かけて、市当局の投資により、桟橋は鉄筋コンクリート製に改築されました。長さは440米まで延長され、桟橋の南端には半円形の防波堤が新設され、その中には中華民族式の八角亭・回瀾閣が建てられました。この頃から桟橋、特に前海桟橋は青島的な建築として名を知られるようになりました。海岸線を歩くと青島は月のような弓形になっているのが分かります。遠くに見える貝型をした小青島には緑が多く、白い灯台が真っ直ぐに伸びています。潮が引くと、褐色の岩と金色の砂が現れ、貝を拾う沢山の人々で湧いています。近年、青島のカモメの飛来を促進する活動を展開していて、海が穏やかな時には無数のカモメが湾内を飛び回っています。
🔺太平路10号
🔺82884548

  花石楼

八大関を代表する別荘建築。花崗岩を持ちいた瀟洒な佇まいからこの名がある。別名「歇脚楼(足休めの建物)」。中国の嘗ての要人達が一時期滞在していたことで知られている。
青島八大関別荘区内にある花石楼は別荘区で最も有名な建物です。西暦1931年中国に亡命してきたロシア貴族が此処からの景色を好み、自ら監督して建てさせたもので、主体は5層からなり、建築面積は約800㎡、最上階には展望台を設け、外壁は花崗岩で丸石が少し嵌め込まれているため、「花石楼」の名が付きました。
花石楼は古代ギリシアとロマの芸術スタイルを合わせた上に、ゴシック様式建築の美しさ醸し出し、偉容を備えたその姿は中世ヨーロッパの古城建築に属します。国民政府時代、蒋介石と宋美齢はほぼ毎年此処で休暇を過ごしたため、蒋公館と呼ばれるようになります。屋内の窓にはステンドグラスが飾られ、外から差し込む日光が古い螺旋階段を照らすようすにより、歴史を感じると共に、花石楼に暮らした者の往時の華やかな生活が偲ばれます。花石楼はその美しい建築と雰囲気により、青島の有名な見所となっているだけでなく、青島市民がよく結婚写真の撮影に利用するスポットでもあります。
🔺黄海路18号
🔺83872168(内線6163)


  迎賓館

青島に現存する代表的なドイツ古城式建築。1905年ドイツ総督の公邸として建てられたもの。建物と共に、当時を偲ばせる絢爛な内部装飾は歴史的・文化的に貴重な史料。
迎賓館は青島の典型的なドイツ風の建物で、高さ30米、建築面積4080㎡である。建築の高さは30メーター以上、建築材料は青島の優質花崗岩を採用し、ヨーロッパ王宮様式の設計で、非常に精美壮観である。細かくて高い窓の上部に石に精巧に彫刻された窓飾り、大傾斜の屋根は赤色、青色、緑色の筒瓦で飾り、ベランダは全部南に向かっている。外観優美、荒々しくて独特のドイツ風の建物である。建物の中の内装は異常な豪華だ。4階建てで、一番下の方は半分地下室、それは使用人の寝室と食堂だった。一階建は接客中心。2階は居間、寝室が並ぶ私的空間。外観は大きな寄棟屋根の周囲に大小の屋根を重ね合わせて、荒々しい石組みのレスティカ仕上げである。この建物は旧ドイツ総督邸だったので、「総督楼」か「提督楼」と呼ばれる。1914年から1922年まで日本守備軍司令の官邸であった。ドイツの著名な建築家によって設計され、1903年着工、6年間ほどかかり、1908年竣工した。建築全体は石造りで、内装は絢爛豪華で、台所、会議室、ダンスボール、食堂、寝室などが装備し、噴水や水槽が飾られている。ロビーは高くて上部には華麗なシャンデリアがかけられ、壁には銅の彫刻芸術品と油絵、西南部の壁角に緑玉石で嵌め込んでいる暖炉がある。窓がらすはステンドグラスで、古風のドイツ製のピアノを置いているレストランは昔の西洋風が溢れている。2階は昔総督の寝室と事務所であった。1957年には拡張し、2.6米の公園を作り上げ、園内には数多くの花木が植えられた。80年の樹齢を持っている金木犀、木蓮は迎賓館に最も神秘感をかけた。迎賓館は青島に現有する代表的なドイツ古城式建築で、1905年ドイツ総督の官邸として建てられたもの。建物と共に当時を偲ばされる絢爛な内部装飾は歴史的・文化的に重要な史料とされている。
🔺龍山路26号
🔺82886242

  天主教堂

正式名称「聖ミカエル教会」。1934年建造の、二つの尖塔を持つゴシック様式のカトリック教会で、国内でも有数の規模の教会。尖塔の高さは60米。当時青島で最も高い建物だった。
ダイナミックな建築。5.6米の上から4.5米の巨大な十字架が市内を見下ろしています。此処の教堂も毎週多くの青島市民が礼拝に訪ねます。此処には当時の物がそのまま残っています。特にジャンデリアは、このホールのアクセントになっていて、ゴージャスな雰囲気を演出しています。1934年双塔がランドマークになっている。間口がない小さいアーチを連ねた装飾を施された外観意匠、ロマネスク様式の聖堂が下敷きになっている。
🔺浙江路15号
🔺82865960

  ビール博物館

1903年、ドイツ人により創立された国内最古のビール工場。創立者当時の建築を改造して、2003年に小さいビール博物館となった。ビールの製造工程見学だけでなく、できたてビールの試飲もできる。
青島ビール株式会社の前身は国営青島ビール工場、1903年ドイツとイギリス領国商人の合弁で創建された。中国の初めてのビール工場で、国内外で名を馳せるビールブランドを有している。1954年から、東南アジアへ輸出し初め、相次いでアメリカとヨーロッパ市場を開拓した。目前既に世界40カ国以上に輸出している。1963年全国ビール質量大会で国家名酒、唯一の金メダルを獲得した。1991年、中国十大商標の一つに指定された。1981年、1985年、1987年アメリカで挙行された国際ビール大会で連続3回も金メダルを獲得し、アメリカ市場では販売量一番多いアジアビールになった。1991年ベルギーのブリュッセルと1933年シンガポールのビール大海で連続金メダルを得た。1993年6月、青島ビール工場ベースに、中外合弁青島ビール第二有限公司を吸収し、青島ビール株式会社を創立した。香港と上海でH種A種株が上場に、海外で最初に上場した中国企業で、1995年12月に国家外経貿部に中外株式会社に批准された。
1997年3月に日本の朝日ビール会社と合弁し、深圳青島ビール有限公司を設立し、青島ビールは51%を持っている。青島ビール工場科学研究所は中国唯一の「国家級ビール技術中心」である。
青島ビール博物館は青島ビール第一工場旧ドイツ工場と古い設備を利用して作ったビール専門の博物館です。2003年8月15日青島ビール百周年記念を合わしてオープンされました。建築面積6000㎡あり、古い写真、以前の設備、蝋人形、現在の生産ラインと二つのビールバー(試飲所)、記念品、売店などがあります。
🔺登州路56号
🔺83833437


  旧ドイツ総督府

1906年頃に竣工した、嘗てのドイツ総督府で、1992年までは青島の市政府(市役所)として使われていた。この巨大な建物を中心に旧市街の街区整備がなされた。国家文物指定。
青島租借地のドイツの都市計画で中心に置かれたのが、この旧ドイツ総督府です。租借当初、総督の公務の殆どは街の日傘にあった私邸で行われていました。この建物は1904年に着工し、1906年竣工しました。外壁には地元の赤みのある花崗岩が使われています。役所らしい、厳しい建築です。1階はルスティカ仕上げ、2階と3階は平滑な切石による仕上げが施され、、はっきりとした目的を刻んでいる。旧ドイツ総督府は少し高台(高地、高崗)にあり、海を見下ろしています。総督府の前には広場があり、あらゆる方向に道路が伸びています。
1914年に日本が青島を占領したので、総督府は日本守備軍司令部になりました。1938年1月に再び日本が占領して青島市政府所在地となりました。既に市役所は東部に移転しましたが、現在は青島市人民代表大会常務委員会、中国人民政治協商会議青島市委員会が入っています。一般人の行く所ではないですが、周辺を散策する人はたくさん見かけました。
🔺沂水路11号
🔺内部見学不可

  康有為旧宅

本来は1899年健三のドイツ役人宿舎。その後、1924年に改革派の政治家として知られる康有為が買い取り、病死するまで此処に住んだ。現在は山東省の文化産に指定されている。
🔺福山支路5号
🔺82879957
🔺無料開放(月曜日休館)

  青島ドイツ監獄博物館

ドイツ時代に欧米の犯罪者を投獄した監獄跡。敷地は高い壁と重厚な鉄門で取り込まれている。中央の尖塔は見張りのためのもの。嘗ての独房や地下水牢なども見学できる。
🔺常州路23号
🔺82887691

  旧青島鉄道駅

1901年に建てられた駅舎で、嘗ての青島の陸の玄関。高さ35米の急勾配の屋根が印象的。駅前に大きな広場をもつ容は当時と変わらず、新幹線が走るようになった今も青島の玄関として活躍している。
🔺泰安路
🔺内部見学不可

  青島市美術館

慈善団体「紅卍字会」の青島本部として1930年代に建てられた建築群。特に旧オフィス(現在欧州展示館)はアールデコ調の曹植が華麗な堂々足大建築。
🔺魚山路37号
🔺82889996

  中山路

約100年前のドイツ統治時代から、現在の新市街に中心地が移るまでの青島のメインストリート。通りの左右には当時の建築も多く残され、今なお現役の店舗として使われている。桟橋や教会など旧市街観光の起点。

  旧ドイツ警察署
1905年竣工の、嘗てのドイツの警察署。現在も警察署として利用されている。エレガンスな装飾の時計塔とハーフティンバー式の建物からなる。青島を代表する洋風建築の一つ。
🔺湖北路29号
🔺内部見学不可

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