山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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言語の統一と分裂(あなたの最初の漢字教才・甲骨文)

読み書きの知識には二つの陵域がある。一つは、例えば漢字の知識と古詩を暗唱するような、数千年来の言語知識である。二つには、例えば漢字の構造を理解し、古文の作者の風格を分析するような、言文の専門的知識である。

文語を学習する前に、中学生になったばかりの学生は、古代人がどんな言葉を話していたのであるが、彼らが当時話していた言葉は、古典の書面とどんな違いがあるのかと、よく古文の教師に質問する。

この問題に答えるにはまず言語の起源から説明しなければいけない。

現代の人類学者は、現代の人類の祖先は東アフリカから出発して、世界各地へ向かったと考えている。遠くゆっくりとした移動で、彼らの生物學の特徴に大きな変化が起こった。大脳が大きくなり、胃腸は縮小し、中枢神経は鋭敏に発達し、口、歯、舌、喉で構成される音帯は鳥類が発声する連続して、ころころと抑揚のあるハーモニーを模倣できるようになった。言語学者は、人類にはサルと、鳥類という二人の先生がいたという。普通のサルは「ウー」「キー」という単音節と「キッキ」「キャッキャ」というニ音節しか発声できなかった。不思議なことに何らかの原因で、智能のあるサルが出現して、鳥類のころころと抑揚のある長い声調を学んで、多音節の単語と語句とそれらを配列する語法が生まれたが、我々の祖先はこうして言語を創造した。

「誰」は使われる頻度の高い乗用字で、「誰」の字の「言」は挨拶を表し、「佳」は鳥の鳴き声を指す金文に由来する。これは擬声語で、古代の人々は鳴き声を真似て口笛を吹くことによって、視界の悪い林の中でも相手の応答によって見知らぬ人の存在を確かめていた。篆文の「誰」の字形は金文のそれを引き継いだ。隷書の「誰」は篆文の「」を簡素に言とした。古語では、「唯」は口笛の応答、鳥のように人を惹きつける声を発することを指し、「誰」は狩人が鳥の鳴き真似をして人に挨拶する時の口笛を指した。

喙 は鳥の嘴(くちばし)を指す。篆文の喙は左が口で、右の字は大きな口を開けた動物(豕)を表している。隷書の喙は篆文の「」を豕とした。『説文解字』:喙は嘴なり、動物の発音器官である。

古代の人々ははやくも、言語とは時間や空間、乃至は異なる人々の集散(聚散)で不断に変化するものであると気づいていた。言語というものは、世界でも今まで統一されたことがなくこれ以降も統一は難しい。世界各国、それぞれの民族にはそれぞれの方言もあり、源が一つの言語であっても、異なる地域によって語調にも各々特徴がある。同じ所に住む人も、時間の流れ、人口の流動によって少しずつ変化が起きているのだ。同じ家に住む人でも、言語は不断に変化している。お爺さんと孫の(話す)言葉は全く異なることが往々にしてある。数十世代に渡る人々によって、変化も大きくなるのだ。100年以上前、アメリカの科学者エジソンが蓄音機を発明し、その時の録音を現代のイギリス人に聞かせましたが、彼らは100年以上前の老人達が何を言っているか基本的に理解できませんでした。英語は表音文字で書かれているため、現代のイギリス人は古代単語を理解出来ず、つまり古書を理解できないのです。漢字は音と意味の両方を表現できるおかげで、私達中国人は悩むことがありません。

従って、「中国人の祖先は何の言語を使っていたのか」という答えは、私達が日常的に使っていたのか」という答えは、私達が日常的に使っている漢字の中に隠されているのです。現代中国語の常用文字は3,000字あり、その8割は漢の時代には確定された「表音文字」です。この単語は二つの部分に分かれており、一つは指示部分、もう一つは発音する部分です。例えば「罵」という単語は、「馬」と発音されます。馬はこの文字の形成において発音記号の役割を果たしています、呪いの言葉の意味とは何の関係もありません。単語「駕」は「加」と発音され、馬はこの文字の形成に役割を果たしています。「加」は馬車を運転するという意味の文字で、「駕(運転)」の発音記号です。発音記号として使用できる漢字は数百種類あり、その殆どが殷商時代の甲骨文に既に登場しています。これらの基本的な単語の発音は何千年もの間、あまり変わっていません。つまり、漢字が4,000年以上前に記録されて以来、私達中国人は同じ言語、つまり「中国語」を使用してきました。古代から現代に至るまで、中国語は世界の歴史の中でも唯一、脈々と受け継がれてきました。

口、甲骨文「口」   、  、  の字形は人が口を開けている様子である。造字の本義は、人類が食事、呼吸、発音する器官が嘴である。この甲骨文の口の字は、第一印象は大笑いしているようである。楷書の「口」字は、口角の方向が上向きから下向きとなって興奮した口角が見え隠れする。

古代人は舌も歯もない口だけでは、根本的に発声できないことを知っていた甲骨文の「曰」は、口と一枚の舌との組み合わせで。それは口内に付け加えられた指示記号であり、口(舌)の動作を表している。金文の「曰」は、話し声が良く響いて、舌が口の上部にはみ出すほどである。漢文ではよく「子曰く」というが、孔子が説話するという意味である。

人類の発音器官は、口を開け、次に舌を出し、喉を鳴らし順序で、最初に唇から発生する音がつまり、唇の開閉による発声する「母音」である。例えば赤ん坊が最初に覚える発声するmaとba であり、全世界でも、ママ(母)の音声はm(mama、mammy)、パパ(父)にはbまたはp音を持っている。(baba 、papa )みな同様である。

甲骨文の「白」が描くのは、口が滝のように取り止めもなく口角に泡は白色を表し、惜しみなく喋っていることを表す。もし半日喋っても話しに意味もなく、効果もなければ、俗に言う「瞎白活、むちばなし」である。もし美辞麗句を弄し続ければ、「雄弁である」と言う。

「諧和(やわらぐ)」と言う日常語の「諧」の本字は「皆」である。金文の「皆」 の上部は、人が二人立ち並んでいる「比」である。下部はちょうど話しが合っている「曰」で、本義は異口同音である。篆書の「皆」は「日」を、説明を表す「白」に改めている。「皆」の「異口同音」の本義が消失すると、後期の篆書の「諧」には「言(言う、言論)」を加え、新たに「諧」を作り代替した。造字の本義は、意見の一致、相互に融合することである。

「舌」の、甲骨文の下の上部の「干」は、蛇の口から出される二岐の舌の形(蛇信子)であり、下部の「口」は人間の口を表す。蛇の舌(蛇信子)は蛇の感覚器官であり、舌は人の味覚器官である。ある甲骨文の「舌」字には「干」(蛇信子)に二点の記事記号「」を付け加えて、飲食や会話時の唾を飛ばすことを表している。造字の本義は、蛇の舌(蛇信子)であり、風味で環境を感知するものである。『説文解字』に、「舌は、口に在り、言う所以なり、味をるなり。」

犬と比べることのできるのは誰の歯だろう?まだ歯がない子供が口から出す言葉はあー、いー、うー、おーと言った口を開ける音節であり「母音」と言う。歯が生えてくると、ヅ、ツ、すると言った歯と歯の隙間から出る「子音」を発生することができるようになる。もし話し方が不明瞭な人は、「舌たらず」と呼ばれ、もし話し方が曖昧な人は歯から音が漏れると疑われる。

甲骨文の「歯」の字形「」は、むき出しの歯がまるで、口内の上下の門歯の要で大変面白い。殷商時代の人斬りの祭祀や副葬に使った「人面銅銊」がこの様子である。

古代人は口内の前方で上下相対する噛み合わせを「歯」と言い、一本づつの歯は「牙」と言った。「牙」の甲骨文「牙」は、歯槽と歯根のある抜歯した臼歯の形である。

「牙」は口の奥の臼歯を表し、また驚いた声を模したものである。篆書の「呀」は「口」と「牙」の組み合わせである。造字の本義は、驚いて大きく口を開けて、「牙牙(ギャーギャー)」と言う言葉を覚えること。

「五」は音符であり、意符でもあり、多数を表す。「語」の金文「語」は話しをする「言」と上下に積み重ねた二つの「五」の構成であり、多数を表す。造字の本義は、演説、談論、べらべらしゃべる、たくさん喋ること。篆書の「語」はこの字を横に「口」が加えられる。隷書の「語」は篆書の「」を「言」と書いている。『説文解字』に、語は弁論、字形は「言」を偏として「吾」を音符として採用している。

「言」の、甲骨文の「舌」の舌先に横「一」の指示符号を加えて、舌が発する動作を表す。造字の本義は、口と舌を動かして話をしていること。金文「言」は甲骨文の「を「」と書く篆書の「言」は更に横「一」符号を加えている。隷書は「言」と簡略書き、完全に「舌」の形を失くしている。『説文解字』に、言は、直言するを言を曰い、論難を語を曰う(ありのまま言うことを「言」、避難することを「語」と言う)。