新建環翆楼碑記外伝
威海博物館に日清戦争時期の文化財が有ります。その一つは海軍船匠福島秀光の作ー「新建環翆楼碑記」の拓片,もう一つは海軍編修書記瀬戸晋は福島秀光の拓片に跋文をします。福島秀光の作成ー「新建環翆楼碑記」拓片
威海博物館収蔵品瀬戸晋の題跋文
威海博物館収蔵品
瀬戸晋の跋文(訓読篇)
明治乙未春二月,威海既失守,劉公島亦相継陷,我軍处之亦。越三月,余陪鮫島少將往覌威海城,城明永樂年間所建,虽規模不甚雄偉,負山面海,亦足以為一方鎮。遂登山,山頂有楼,曰環翆楼。
前有断碑,写文字漫滅,有往往不可⚫️者,土人曰:貴軍之始到此地也,看次為不祥,怒倒之余地,,乃两段如此亦。
海軍船匠福島秀光多能之士也,一日欲往摹之,次為字体貼。有客難之曰:甚哉!子之好奇也。碑文称我曰倭寇、曰倭夷,無禮亦甚亦,子豈非忘我国体醉異鄉文物者乎!秀光縱容曰:是知其一, 未知其二者也。夫禹域之俗,唯我獨尊,視異邦人猶禽獸然矣,其称我曰夷曰寇,不足复怪也。而今也一敗塗地,上下倉皇,割地請和,称曰上国,何其快也!故今我摹之,次示泰西人士,侮我者⚫️明前車之鉴,亦不善呼。
遂飄然駕軽舸去,此夕携摹本⚫️⚫️来示余,并征文,余乃不顧⚫️文擧前言次易跋雲尔。
明治廿八年晚夏于扶桑艦
海軍編修書記瀬戸晋識并書
明治乙未春二月,威海既に守りを失い,劉公島も亦た相ひ継いで陥る,我が軍之に処るなり。超えて三月,余、鮫島少将に陪いて往きて威海城を観る,城は明の永楽年間に建つる所なり、規模は甚だしくは雄壮ならずと雖も、山を負いて海に面し,亦以て一方の鎮為るに足る。遂に山に登る,山頂に楼有り,環翆楼と曰う,前に断碑有り,写せる文字は漫く滅し,往々にして【】べからざるもの有り,土人曰く「貴軍の初めて此の地に到るや、次(ほとり)?を看て不祥と為し,怒りて之を地に倒せり,即ち両断すること此くの如し」と。海軍船匠師福島秀光は多能の士なり、一日往きて之を摹して、次で字体貼?を為らんと欲す。
客有りて之を難じて曰く「甚しきかな!子の奇を好むや。碑文我を称するに倭寇と曰い倭夷と曰う,礼無きこと亦た甚し,子豈に我が国体を忘れて異郷の文物に酔う者に非ずや」と。
秀光、従容として曰く「是れ其の一を知りて,未だ其のニを知らざる者なり。夫れ禹域(*)の俗は,唯我獨尊にして,異邦の人を視ること猶お禽獣然の如し,其の我を称して夷と曰い寇と曰うのは,復た怪しむに足らざるなり。而るに今や一敗地に塗れ,上下倉皇として,地を割きて和を請い,称して上国と曰う,何ぞ其の快なるや!
故に今我之を摹し、次いで泰西(*)の人士に示さんとす,我を侮る者は【】明前車の戒めにして,亦た善からざらんや」と。遂に飄然として軽舸を駕してさる。
此の夕べ摹本を携えて【】【】来リて余に示す,并びに文を征む,余乃ち【】文を顧みず前言を挙げ次いで跋に易えて云うのみ。
明治廿八年晚夏扶桑艦に于いて
海軍編修書記瀬戸晋識し並びに書す
*土人:現地の住民
*禹域:中国
*泰西:西洋
威海衛城の旧風景
注:威海衛城は、明の洪武31年(1398年)、倭寇(海賊)の襲来に備えて衛城を築いたのが始まり。倭寇(海賊)に対する防衛の為に建設された城壁都市の一つで、明朝の三大衛城の一つです。明朝は倭寇の害を防ぐため、全国の防衛拠点に「衛」(5600人からなり指揮官を置く)、「所」(1120人からなり千戸官を置く)。嘗ての威海海岸には2.5キロに煙墩(狼煙台)を置く、5キロに堡城を置く。「威海衛」は威震海疆の意味から、一番目の規模のものということになります。威海衛城は城壁と池に囲まれ、城内には兵士が詰め、兵営や練兵場、食料庫、指揮所などがありました。威海衛城南北長さは870㍍、東西長さ632㍍、面積55ヘクタール。衛城城壁は煉瓦作り、高さ3丈(10㍍)、厚さ2丈(6㍍)、城周3キロ28歩、城池1丈5尺(5㍍),4城門を設置,28個駅伝を設置していた。北京の紫禁城は明の永楽4年(1406年)なので、それより8年前です。
1406年倭寇船隊来襲、劉公島を拠点としては威海衛城を直接攻撃して、戦闘は三日間続けて城を陥落せず、明朝の援軍がどんどん増援し、やむを得ず倭寇が撤退します。これをきっかけに倭寇来襲の事件が次第になくなりました。
附录:登環翠楼·七言排律
威城楼枕翠微巔,環翠名楼一扁懸。
百尺崚嶒台奈古,数層縹緲閣凌煙。
棟樑金碧翚仍革,斗拱玲瓏麗且堅。
明淨八窗紛洞達,清虛一闥絕塵緣。
登臨有興襟懷闊,瞻望無邊景物鮮。
聊伏雲霞開境界,不須閬苑覓神仙。
銀河皎皎天連海,綠水茫茫海接天。
眾派朝宗難畫量,群山奔赴類擎拳。
火精冰鑒扶桑出,白練紅綃渤澥湔。
島嶼参差還蕩漾,龜龍出沒更盤旋。
任時旱澇潮何變,隨月盈虧信罔愆。
聲韵大驅雷鼓震,浪頭高卷雪花顛。
乾坤都向寰中括,星斗移来波底瀍。
蜃現楼台微雨后,鵬搏霄漢大風前。
漁舟倚港垂綸釣,鹽鑊沿汀拾鹵煎。
山鳥徒勞填木石,麻姑浪說變桑田。
城中煙火千家屋,城外膏腴萬頃阡。
松柏行台堅晚節,杏桃遶郭斗春妍。
閣頭堪折蟾宮桂,山麓頻觀玉井蓮。
一帶金湯嚴保障,三齊疆田樂安恬。
旌旗影里排干羽,鼓角聲片雜管弦。
文德誕敷因被遠,夷航通貢递爭先。
區區倭種而今遁,赫赫神威自昔宣。
分寸微勞慙未效,文和椽笔謬蒙編。
太平臣子無多事,但祝皇圖億萬年。
弘治四年春朔旦,山東按察司奉敕巡海御史、蜀瀘趙鶴齡書。
威海博物館は日清戦争時期の文物が欲しいです。中日友好の為に頑張ります。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。