山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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2021年9月のブログ記事

  • 青島サウルす命名の故事

    2012年、有名な古生物学者董枝明等12名の専門家で組織された選考委員会が中国常州での第一回国際恐竜祭で公表した「中国百年十大有名恐竜」リストの中に青島サウルス(青島竜)がある。 青島サウルスはその発展の歴史と特殊な外形から中国で最も有名な恐竜の一つであるが、果たして何人が青島サウルスが青島で産ま... 続きをみる

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  • 大廟山 大廟山尋踪(青島神社)

    「貯水山公園」は青島で有名な山頂公園の一つであリ、旧市街北部の遼寧路、黄台路と泰山路の間に位置する。資料によって示すと海抜83メートルの東峰と海抜73メートルの西峰の遠望が馬の鞍のように見えるので、古来馬鞍山と呼ばれた。 明代に倭寇の襲来を防ぐために馬鞍山に狼煙を建造したが、狼煙台という見解は未だ... 続きをみる

  • 観象山の前世

    詩人蒲鳳は『青島』詩中で、天主堂は青島の両目であり、観象山は「彼女の突起した髪」に例えている。静かな観象路をすすむに順って、観象山山頂の登ることができます。ここにそびえる7階建ての「石積塔」が、かつてのドイツ占領時代の観象台(気象台)である。 1931年、中国初の自作ドーム型天文台がここに誕生し、... 続きをみる

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  • 青島旧跡時計台

    一 ドイツ膠澳警察署旧跡時計台 ドイツ膠澳警察署旧跡は、1904年から1905年にかけて建てられた、ルネッサンス期のドイツの建築様式とヨーロッパ大陸の中世の教会建築様式で、黄色の壁面に赤煉瓦を埋め込んで、その間に突出する切妻の飾壁と高く聳える時計台が際立ち、時計台の上部の4面には、盤面に時計と分針... 続きをみる

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  • 青島灯台シリーズ

    一 小青島灯台 小青島灯台は、青島市先の青島湾内の小青島に位置して、船舶が膠州湾、青島湾を出入りするのに大切な航行補助標識で、「琴嶼飄灯」の美称があり、また青島市のランドマーク的建築の一つでもある。 小青島灯台は1904年に建築を始め、1914年の日独戦争の期間に破壊された。1915年に日本当局が... 続きをみる

  • 膠東道教石像

    秦漢南北朝以来、道教は中国自体の宗教として重要な発展期に進入し、北朝晩期から隋唐にかけて道教を題材とした石刻造像が集中して出現した。 膠東半島は道教の人文資源が豊富で、秦の始皇帝はかつて芝罘に不老長寿の薬を探索に来たが、唐以降は仏教文化の衝撃を受けて道教の影響は次第に薄れたが、元明時期には道教が再... 続きをみる

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  • 中国の第一塹壕砲台ーー劉公島砲台(口径233ミリ、射程10000メートル)

    清末の北洋艦隊基地となった劉公島は、現在6基の近代海防砲台の遺跡が残っている。 近代中国沿岸に建設された海防施設の中で、威海砲台の名声は虎門、大沽などの砲台には及ばないが、ただし砲台建築の精良さ、砲台配置の標準的さについて論じれば、国内第一を称するに堪え、近代中国海防建設の最高の成果を代表する。 ... 続きをみる

  • 煙台と中国近代の不平等条約

    1840年から1949年にかけて、列強は中国政府に1,100余りの不平等条約の締結を迫り、これはおそらく世界上のいづれの国にもないものである。 これ千余以上の不平等条約の内で、近代中国に巨大な影響を与えた『煙台条約』と『馬関条約』は煙台のこの小さな城市で調印されたものである。 煙台市区には多くの歴... 続きをみる

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  • 前世青島

    青島村の本来の名は胡家荘で、明代の軍の胡氏一家が土着したことによるが、後に村近くの海上にある青島によって名を改めた。ドイツが青島を占領した時、青島村はもう500余年もあり、それで人も多くなり上、下両村を形成していた。村民は漁捕であったり、農業、商売をした。 ドイツ人の記録する青島島民は、穏やかで、... 続きをみる

  • 前世青島:三棟のドイツ軍兵舎の建物屹立

    青島には四棟の清軍の兵舎があった。建築様式から見ると、四棟の兵舎は外洋内中で、つまり営門は洋式で、塀囲いの中は、全く中国式であった。ドイツ軍が青島を占領してから、住むべき兵舎がなかったため、「鳩居鵲巣きゅうきょじゃくそう」のように、各部隊は以前の清軍兵営に駐留した。遺憾なのは、この四棟の清軍兵営は... 続きをみる

  • 幼稚園の園長から見た上海の習慣

    私が通った幼稚園の園長は上海の女性で、夫とともに芝罘に来た。お世辞ではなく、身長、スタイル、性格、服装まで宋慶齢そっくりである。 1960年代中期、華麗な服装は許されなかったが、粗末な古着でさえ彼女は綺麗に洗って、きちんとアイロンがけして、身体にあった感じは、見ていて心底よいものであった。国光巷の... 続きをみる

  • 上海の秘密

    一 本当の上海市中心は 一つのホテルにある 本当の上海の中心は一つのホテルにある。本当の上海市の中心は陸家嘴ではなく、また新天地でもなく、さらには静安寺、徐家匯でもなく、上海国際飯店の中にある。 1934年落成の上海国際飯店は黄埔区南京西路に位置して、24階建て、当時アジアで最も高い建築物で、ホテ... 続きをみる

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  • 旧フランス帝国と煙台

    煙台の都市化は二つの系統に分けられ、第一は城砦(じょうさい)を基礎とする。 軍事城砦としての機能低下以降は中国固有の商品経済の発展に随い、次第に拡大して都市となったが、この系統は第二次アヘン戦争後は勢いがなくなった。第二は自然発展の系統が主流となり、煙台港を中心とした港湾都市化である。外国の資本主... 続きをみる