山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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司馬懿が死亡した時、なぜ、司馬昭は、柏夫人母子殺害を急いだのか?

西暦251年、司馬懿が病で死亡した。司馬昭は父の死を全く悲しむことなく、気もそぞろに、急ぎ兄と殺害を謀ろうとした。「親父は死んだ。兄貴と俺があっさり引き下がるより柏夫人母子を一気に葬り去ろう!」司馬師は驚いて、弟の腰を抱いて彼の無茶振りを許さず「父親が死ぬ前に言ったことを忘れたのか?」言った。

司馬昭が柏夫人母子を殺そうと思ったのは、二人の母親である張春華の仇を取るためだった。張春華は名門の出て、風格のある佇まいで、幼い頃から父母に良い教育を受け、しかも、張春華の母親山氏は、竹林の七賢の一つ〜山濤のおばという輝かしい背景を持っていた。正に張春華は佳人良妻だった。


聡明すぎる張春華は、司馬懿の最初の配偶者となった。この後、これほど多くの難事が起こるとは、誰も予測しなかった。曹魏は、司馬家をものすごく恐れ、一方では、司馬懿の才覚を自己の補佐に利用し、また一方では、司馬懿の優秀が、君主の危険視されるのを防ぐことができなかった。司馬家の子孫のお粗末さはともかく、司馬懿は偉人にすべきだ。


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初め、司馬懿は曹操が宦官に劣り、自分の補佐には相応しくないと思っていた。だがずっと曹操の名声も聞いていたので、鋼鉄も硬いままにしておけないことを恐れ、司馬懿は決めるべき時にすぐ決め、すぐさま病と称し、自身が半身不随で、体が弱って身の周りのことも出来ないと言った。この時期に、上部は何度か訪ねてきたが司馬懿に巧みにかわされた。時間が経つと、司馬懿が一人で家にいると馬脚を露す(化けの皮が剥がれる)のは免れないことであった。

この日は大雨が降り、昼間持ち出して曝涼(ばくりょう)した書籍が全て外面にあった。司馬懿はあわてて、飛び出し本を片付けたが、この場面をちょうどやって来た侍女が見てしまった。


二人は一瞬顔を見合わせた、雰囲気は凍りついた。司馬懿はすぐさま気を取り直し、声も顔色も変えずに侍女に些かなことは知らないのが良い、見てはならないものは妄りに見てはいけないと注意を促した。侍女は自分はわかっていますと言った。


侍女は張春華の腹心で、彼女は身を翻して主母(張春華)の元へ来て、「奥様、ご主人は本を片付けに行きました。彼は立っています。」と報告した。侍女は(主人が不随でも立っていることに)我が目を疑っていたが、張春華は眉を顰め、ゆっくりと侍女に歩み寄り、それ(侍女)が気づかぬ内に、殺して(内情を知る)口を塞いだ。

張春華は司馬懿に災禍が及ばないように、すぐさま決断したのである。このような手段は夫である司馬懿には大変衝撃であった。彼は後に挙兵に成功したのではあるけれども、張春華に対しては従来の愛着が無くなっていた。

陰険であくどい女性は、彼を恐れ慄かせた。

間もなく、司馬懿には新しく柏夫人を好んだ。

張春華は自身が老け(ふける)てまた性格も好まれなかったので、次第に司馬懿から嫌われた。ある日、司馬懿は病気となると、長い間夫に会っていなかった張春華はやきもきして見舞いに来たが、病床の司馬懿に、この死にぞこない、私の邪魔をするなと怒鳴られた。


張春華は胸が鬱憤(うっぷん)で満ち、何日も水もご飯も呑み込めなかった。この時司馬昭と司馬師は張春華と親子であり、また自ら食事も取らずに付き添っていたので、自分の子でもある苦しみを堪えられず、悔しいながらも張春華に詫びるしかなかった。

司馬懿は人に「老いぼれたものが死ぬのは惜しくないが、私の良い子達があまりに苦しんでいることが気がかりなのである。」と言い訳した。


これも司馬昭がなぜかこのように柏夫人を恨む原因でもある。彼はずっと張春華の死は柏夫人が父親の愛を奪ったのだと思っていた。司馬懿は二人の子供の考えを汲み取り、臨終の際に二人へ、「柏夫人の子供で、お前たちの弟司馬倫は大志もなく、お前たちの脅威にはならないので、どうか彼を放物っておき、彼に構わないで。」と特に言い含めた。


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兄の司馬師は大局を取り仕切り、確実に司馬倫を構わないことの承諾を遵守したが、兄弟二人は終に策略して、柏夫人を自害させることを決めた。

このようにして司馬倫は母親を失った。成長した司馬倫は司馬懿の予想した通り、少しも能力がなかった。