岱廟の漢柏院の千年の約束
一 赤眉斧痕
北魏郦道元の『水経注』には次のような記載がある。紀元前110年前漢武帝(劉徹)が東に行幸して泰山で天を祀った時、嘗て此処に二千株漢柏(コノテカジワ)和植えたと言う。漢柏2000株余りを植樹したと言われていますが、2000年の歳月を経て今日この5株を僅か残すのみである。樹齢は2000年余り、此処に漢武帝の植樹した漢柏による漢柏院と呼ばれています。植えた時は中国漢の時代なので、此処石碑に漢柏も書いてあります。
東晋の『従征記』には、次のような記録がある。「赤眉嘗て一樹を切るに、血を見て止む斧痕猶存す」。皆様が先ほどご覧になった連理(夫婦)の漢柏の木の側に生えている古い真柏には「赤眉斧痕」と言う異名があります。
皆様、先に連理のコノテカジワの側のこの株のかしわを見てください。このコノテカジワは「赤眉斧痕」と呼ばれています。人の背丈ほどの高さの幹には、古い傷跡がくっきりと残っています。幹の傷跡は鋭利な刃物では付けられたことが分かりますが、しかも、周りには液体が流れたような濃い褐色の跡があるのです。その理由は泰山のある伝説が関係しています。伝説によれば、今から2000年前の前漢の末頃、この泰山に一隊の農民反乱軍がやってきたと言われています。この反乱軍は、皆自分の眉毛を赤く染めていたため、「赤眉軍」と呼ばれました。赤眉軍は泰山に駐屯すると、陣地を築く為に木材が必要になりました。そこで、嘗て漢の武帝が植えたと伝わる古柏の林に立ち入ったのです。
その中の一兵卒が斧を振るって、例のコノテカジワを切り始めました。最初に振り下ろした斧を引き抜き、再び斧を振り下ろしそうとした時のことです。ふと見ると、木の切り口から赤い液体がたらたらと滴り落ちてくるではありませんか。まるで人の傷口から滴る血のようです。これは肝を潰した男は慌てて木に向かって跪き、何度も地面に打ちつけて謝罪しましたが、恐怖の余り遂にその場から逃げ出したと言います。こうしたわけで、この古木は「赤眉斧痕」と言う異名が付いたと言います。
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二 命を預けた連理柏(コノテカジワ)
連理柏は私達の前にあります、二又分かれて生えているのが連理柏です。お互いに命を預けた恋人同士の様に、一つは枯れています。木のほらの内側は燃えた後の様に真っ黒ですが、雷で火がついたのでしょうか。いいえ、こ れは天災ではなく、人が起こしたものです。中国民国時代、軍閥の孫良城の部隊がこの岱廟に滞在していた時、一人の兵将がこの「赤眉斧痕」の話を聞いた後、斧で持って切り離しえそうとしました。此処の道長であった尚士廉がこれを止め、兵士の長官に報告しました。この長官は偶然にも信心深い人で、問題を起こした兵士に厳しい罰を与えました。兵士はそのことを逆恨みし、月が出ておらず風も強く、人がいない夜を選び、灯油を浸した綿をほらに詰め込み1本を焼いてしまいました。今まで2000年肩を並べていた類稀な檜は、この悪党の手により引き裂かれました。二又に分かれながら根を共にしていましたが、別に別れ、お互いに見つめながらも無言でおります。しかし、私達は、彼らが、生涯一緒にいると言う約束を此れからも永遠に固く守っていくのだと信じています。
注:柏(コノテカジワ)もブナ科に属する樹木です。漢代に植えたなので、「漢柏」と書いてある。
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