説文解字の「谷」
谷は象形兼会意文字である。甲骨文の の形の起源には複数の説がある。
ある人は「谷」と言う字の下部が「口」 で、上部が二つに分かれて表示された「八」 の字形符号であって、一旦飲み込んだものの、たまらず亦吐き出すと言う意味であると唱える。転注字の「欲」が本義を受け持つようになると、「谷」は、「二つの山の間の狭くて長い水道、或いは挟まれた道」と言う派生義を表すようになった。
またある人は「甲骨文の は山谷と流水を象り、上部の二つの“八” は流水に似た形状であり、下部の“口」 に似た形状は出口であって、泉水が湧き出る穴から外に流れる出口である」と唱える。
『説文解字』では「谷、泉から湧いて川を通り、谷となる。水の半ば見えつつ口より出ず」とある。
宋代以降、庶民は常に「穀」を「谷」と書いた。「穀」は穀物の殻付種子である。「穀」の字は戦国時代にもう出現しているが、甲骨文と金文の中ではこの字はまだ発見されていない。
「穀」の字の左辺上部は「壳(殻)」の字であり、下部は「禾」、右辺は打ち付ける「殳(しゅ)」字を表して、「殻竿」(からさお=手動式脱粒農具)で脱穀すると言う意味である。発音は「殻竿」で脱穀する時の「こくこく」と言う音に因む。
金文「谷」 、篆書「谷」 は甲骨文字形を継続している。隷化楷書は「谷」を書いている。
「谷」の本義は一つではないが、多くは「二つの山の間の狭くて長い水道或いは狭間道」に従う。宋濂(宋濂)の『東陽の馬生を送る序』に「筐を背負いて靴を引きずり、深山巨谷を行く」とある。また広く水流を指す。
「谷」は苦境に陥って出口がないことの喩えである。『詩経』に「進むも退くも谷の連なり」とある。(無論、進も退くも苦境に変わりはないということ)。
「谷」は(与=yu)とも読む、「吐谷渾(とよくこん。拼音でtuyuhun)は中国北西部の少数民族で、鲜卑族の支族。かつて吐谷渾国を建てた。
「谷」はは宋代以降、「穀」の代替字となり、農産物と食糧の総称を表すようになった。
「穀」「禾」「粟」「黍」「稷」意味に無別がある。「穀(谷)」は農産物と食糧の総称である。「禾」は元々は「穀」を指したが、やがて一般に農産物の別称となった。「粟」は元々は穀の粒粒(小米)」を指したが、やがて一般に食糧の別称となった。「黍」は殷商時代の水稲を指したが、周朝が始まると粘り気のあるキビを指すようになり、黍子(キビ)とも呼ばれる。「稷」とも呼ばれる。「稷」は籾殻(もみがら)付の穀類を指す。
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