山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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説文解字の「谷」

谷は象形兼会意文字である。甲骨文の    の形の起源には複数の説がある。


ある人は「谷」と言う字の下部が「口」    で、上部が二つに分かれて表示された「八」    の字形符号であって、一旦飲み込んだものの、たまらず亦吐き出すと言う意味であると唱える。転注字の「欲」が本義を受け持つようになると、「谷」は、「二つの山の間の狭くて長い水道、或いは挟まれた道」と言う派生義を表すようになった。

またある人は「甲骨文の     は山谷と流水を象り、上部の二つの“八”         は流水に似た形状であり、下部の“口」    に似た形状は出口であって、泉水が湧き出る穴から外に流れる出口である」と唱える。

『説文解字』では「谷、泉から湧いて川を通り、谷となる。水の半ば見えつつ口より出ず」とある。

宋代以降、庶民は常に「穀」を「谷」と書いた。「穀」は穀物の殻付種子である。「穀」の字は戦国時代にもう出現しているが、甲骨文と金文の中ではこの字はまだ発見されていない。

「穀」の字の左辺上部は「壳(殻)」の字であり、下部は「禾」、右辺は打ち付ける「殳(しゅ)」字を表して、「殻竿」(からさお=手動式脱粒農具)で脱穀すると言う意味である。発音は「殻竿」で脱穀する時の「こくこく」と言う音に因む。

金文「谷」    、篆書「谷」    は甲骨文字形を継続している。隷化楷書は「谷」を書いている。

「谷」の本義は一つではないが、多くは「二つの山の間の狭くて長い水道或いは狭間道」に従う。宋濂(宋濂)の『東陽の馬生を送る序』に「筐を背負いて靴を引きずり、深山巨谷を行く」とある。また広く水流を指す。

「谷」は苦境に陥って出口がないことの喩えである。『詩経』に「進むも退くも谷の連なり」とある。(無論、進も退くも苦境に変わりはないということ)。

「谷」は(与=yu)とも読む、「吐谷渾(とよくこん。拼音でtuyuhun)は中国北西部の少数民族で、鲜卑族の支族。かつて吐谷渾国を建てた。


「谷」はは宋代以降、「穀」の代替字となり、農産物と食糧の総称を表すようになった。

「穀」「禾」「粟」「黍」「稷」意味に無別がある。「穀(谷)」は農産物と食糧の総称である。「禾」は元々は「穀」を指したが、やがて一般に農産物の別称となった。「粟」は元々は穀の粒粒(小米)」を指したが、やがて一般に食糧の別称となった。「黍」は殷商時代の水稲を指したが、周朝が始まると粘り気のあるキビを指すようになり、黍子(キビ)とも呼ばれる。「稷」とも呼ばれる。「稷」は籾殻(もみがら)付の穀類を指す。