漢字の初の解釈: 既
「既」は、会意文字である。甲骨文の「既」 は左右の構造であり、多種不同の書き方がある。
基本の構造は古代の人々が使用した食器で、高杯の「豆(皀)」 の形であり、多くの構造中の「豆」の「平底」(「豆」の下にある台座)や、個別の構造では、「豆」の底部を逆三角形の「▽」に似た形にしたもので、これは酒を盛る「酒壺」である。
別の位置では跪いた人の形 ( 「口」と 「人」)を象り、食器の「豆」を背に向け、特に反対方向には大きな口を突出させて象り、頭を背けていることを表す。既に満腹で食べ終え、げっぷをしたり、妻楊枝を使ったりしながら、今にも宴席を離れようとすることを意味する。造字の本義は食べ終えること。
甲骨文の「既」 字と「即」 、 字の構成には高杯の「豆」と、跪いた人の形が共通である。異なる点は「既」字は「即」字と比較すると「口」 が反対 を向いており、「既」はもう食べ終わっていることである。「即」は相反して、食べている最中の意味があり、区別うる必要がある。
金文と甲骨文はほぼ同じであり、あるいは底部の横線を省略している。春秋時代のある「即」 、 の構造は「豆」の底部を二本の弧線に書いている。
小篆の構造は変化しており、「豆」の高台を「匕」と改め、高杯の「豆」を「皀」 に書いている。 を省略して を代替して、右側の人の頭部の「口」 は三本の縦短、右横長の折れ線に変化している。隷書は漢の『張遷碑』、『史晨前・後碑』は左「艮」、右「无」の構成である。元の趙孟頫う、清の金農(の隷書)は小篆を継承して「旣」と書いている。
楷書は甲骨文、金文を継承して「既」に作り、一方また小篆を継承して「旣」にも作る。「既」の食べ終わるから発展して、尽きる、完了、終了を表すようになった。孫樵『褒城駅の壁に書す』に「語りて未だ既(おわ)らず、老氓(ボウ)、旁らに笑いて有り。(話をしゃべり終わらる前に、横に居た老人が笑い出した。)
「既」は副詞であり、(既に)を表す。『韓非子・外儲説左下』:「三軍既成陳(陣)、使士視死如帰。」。
「既」は副詞であり、久しくないことを表す。常に「既〜而〜」と連用される。『左伝・文公元年』に、「既にして又た王子の職に立たんと欲し、而して太子商臣を黜(おとしいれ)る。」『後漢書・華佗伝』に「既にして縫合す。」
「既〜且〜」は二つの情況が同時に存在していることを表す。『孫子兵法・謀攻』に「三軍既に惑い(まどう)且つ疑う。」また『三国志演義』の名句「既に瑜を生めるり何ぞ亮を生めるや。」
「既」は副詞であり、既然(〜である以上、後起の意味)を表す。劉義慶の『世説新語・識鑒』に「既にして人と楽しめるを同じくすれば、亦た人と憂う(うれう)を同じくせざるを得ん」。
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