山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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漢字の初の解釈: 既



「既」は、会意文字である。甲骨文の「既」    は左右の構造であり、多種不同の書き方がある。

基本の構造は古代の人々が使用した食器で、高杯の「豆(皀)」     の形であり、多くの構造中の「豆」の「平底」(「豆」の下にある台座)や、個別の構造では、「豆」の底部を逆三角形の「▽」に似た形にしたもので、これは酒を盛る「酒壺」である。

別の位置では跪いた人の形      (       「口」と    「人」)を象り、食器の「豆」を背に向け、特に反対方向には大きな口を突出させて象り、頭を背けていることを表す。既に満腹で食べ終え、げっぷをしたり、妻楊枝を使ったりしながら、今にも宴席を離れようとすることを意味する。造字の本義は食べ終えること。

甲骨文の「既」     字と「即」    、   字の構成には高杯の「豆」と、跪いた人の形が共通である。異なる点は「既」字は「即」字と比較すると「口」    が反対     を向いており、「既」はもう食べ終わっていることである。「即」は相反して、食べている最中の意味があり、区別うる必要がある。

金文と甲骨文はほぼ同じであり、あるいは底部の横線を省略している。春秋時代のある「即」    、   の構造は「豆」の底部を二本の弧線に書いている。

小篆の構造は変化しており、「豆」の高台を「匕」と改め、高杯の「豆」を「皀」  に書いている。      を省略して   を代替して、右側の人の頭部の「口」    は三本の縦短、右横長の折れ線に変化している。隷書は漢の『張遷碑』、『史晨前・後碑』は左「艮」、右「无」の構成である。元の趙孟頫う、清の金農(の隷書)は小篆を継承して「旣」と書いている。


楷書は甲骨文、金文を継承して「既」に作り、一方また小篆を継承して「旣」にも作る。「既」の食べ終わるから発展して、尽きる、完了、終了を表すようになった。孫樵『褒城駅の壁に書す』に「語りて未だ既(おわ)らず、老氓(ボウ)、旁らに笑いて有り。(話をしゃべり終わらる前に、横に居た老人が笑い出した。)

「既」は副詞であり、(既に)を表す。『韓非子・外儲説左下』:「三軍既成陳(陣)、使士視死如帰。」。 

「既」は副詞であり、久しくないことを表す。常に「既〜而〜」と連用される。『左伝・文公元年』に、「既にして又た王子の職に立たんと欲し、而して太子商臣を黜(おとしいれ)る。」『後漢書・華佗伝』に「既にして縫合す。」

「既〜且〜」は二つの情況が同時に存在していることを表す。『孫子兵法・謀攻』に「三軍既に惑い(まどう)且つ疑う。」また『三国志演義』の名句「既に瑜を生めるり何ぞ亮を生めるや。」


「既」は副詞であり、既然(〜である以上、後起の意味)を表す。劉義慶の『世説新語・識鑒』に「既にして人と楽しめるを同じくすれば、亦た人と憂う(うれう)を同じくせざるを得ん」。