漢字初の解釈:亳
「亳」は会意兼形声文字である。
甲骨文の「亳」 、 字の上部は楼屋の屋根の形を象り、上下に階の重なる形を表し、崇高の意味を表す。下部「乇」 は、あるいは小麦の穂の形と考えられているので「亳」の本義は穀物庫である。
一説の下部の符号は草が地面に生えているとして「亳」の本義は居住できる土地である。
金文 は甲骨文の形を継承し、周代中期と戦国時代の形体は、下部にやや変化がある。小篆 は「高の省略形に従い、乇に従う」。隷書は小篆の字形を継承し、楷書は「亳」と書く。
「亳」の本義は穀物庫である。この意味については殆ど言及されていない。
「亳」(今安徽省亳州市)は古代の五帝の一人帝嚳はここ都城を建設した。商の成湯が商王朝を建立し190年間王都を亳とした。『史記・殷本紀』に、「湯初め亳に居る。」とあり、それで「亳」の本義は帝王の都であるとする人もいる。
「亳」は歴史の名城であり、歴史上の都城であるばかりでなく、周の武王は神農の後裔をここに封じて姜姓の焦国を建設し、焦城を修築した。亳州市区は神農氏の衣冠塚が未だに残る。「亳」には現在でも三国志の曹操が修築した近の送兵道と、曹操一門の墓所が残る。亳州はまた神医華佗の故郷である。
「亳」は姓でもある。
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