山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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東海関公署 東海関副税務司の官邸 東海関監察官官邸 東海関外国人寮 東海関埠頭検察房

 海関街の中央に位置する東海関税務署は、1865ー1866年に建設され、中国と西洋の建築風格、東西に太平湾桟橋に面し、その後、西から東に向けて、閉鎖された中庭のレイアウトに変わり、延べ床面積は約760平方㍍で、本館は四方斜面の青瓦寄棟造りの屋根、2階建ての煉瓦造りと木造り、正方形の平面、西立面(ファサード)の2階に開放式外廊下があります。本館の北と南は対称的な廂房があり、西側に30㍍の元の二つのドアで構成される官公庁の正門が取り付けます。正門はもう取り壊されました。

1862年に莱州から登莱青道署兼東海関が移ってきたのが、煙台の開港です。1863年3月東海関の初代税務長官であるC.ハナンは、1865ー1866年に東海関税務公署の建設を指揮した煙台に到着しました。最初、世昌洋行に間借りましたが、1866年にこの建物を建て移りました。1937年代まではイギリス人が税関の職務を握っていましたが、1938年には日本軍の手に移りました。その職には長く外国人が就いていました。中国の税関を外国人が担当するのも変なのですが。同時はイギリス人こそ清国皇室に信頼できる。

また、東海関は煙台山に税務司官邸(1864年頃に完成し、1879年にグランド米国大統領が煙台を訪れた後、食事やダンスパーティーを開催し、今頃解体)、税務官クラブ(1939年に日本海軍兵舎として解体された)、監察官官邸、税務副司官邸、外国人職員寮など7棟を建設した。1866年、清政権は煙台東海関に郵便代行所を設立し、外国領事館と税関文書を郵送した。1876年9月13日、清政権の全権代表である李鴻章は、英国の公使トーマス・フランシス・ワド(1818ー1895)と公署の2階で交渉を行い、中英煙台条約に署名した。1878年3月東海関は郵便の送受信業務を専門とするレターホールを設立し、同年8月に、「大龍切手」の販売を開始した。1880年、東海関に気象観測所を設置した。1933年、煙台山に無線送信所が設立され、龍口と威海衛との連絡が専門でした。

1891年、東海関は5386両の税関銀の資金を供給し、デンマーク領事W.J.クラーク(1874-1883)の住居を東海関税務副司の官邸として購入し、1907年に解体され、再建されました。

建物は現在、煙台京劇芸術館です。

1907年に再建された東海関税務副司の官邸は、煙台景勝地の中央に位置し、英国の新古典主義様式で、南西に面し、約530平方㍍の建築面積、四面坡赤瓦屋根裏部屋、二重石造りと二重煉瓦造りの構造正方形の平面、二重開放式外廊下と出窓を備えています。

東海関監察官官邸:1885年東海関は5628の税関銀を出資し、煙台初のオランダ領事W.A.コルナベ(1867-1877)夫妻の住居を東海関監察官官邸として購入しました。

建物は現在、氷心記念館です。煙台山景区の中央する東海関監察長の官邸は、1867から1870年まで建設され、英国のアジア植民地の初期スタイル、北から南に座り、約500平方㍍の建築面積、四方斜面の赤瓦屋根、1階建ての石積み構造、L字型の平面、開放式外廊下、精巧な御影石の外テラスベースを設置しました。

東海関(税関)総監察長官の旧公邸:1885年、東海関は、煙台駐在の初代オランダ領事コルナベの住宅を監察長官の公邸として購入しました。購入費用は、銀5628両(約213kg、海関銀1両=約38g)でした。現在、この建物は氷心記念館になっています。

旧公邸は、煙台山景区の中部に位置しています。

1860年から1870年の間に建てられ、外観はイギリス風の初期コロニアル様式です。通りの北側にあり、玄関は南に向いています。敷地面積は約500平方㍍です。

寄棟造りの赤い瓦屋根、単層煉瓦造(1階建ての煉瓦造り)で、建物平面はL字形を呈しています。

また、吹き抜けの回廊と精巧に彫られた花崗岩(御影石)のテラスが設けられています。

1891年東海関は外国人職員の寮としてW.A.ヘンダーソンの住居を購入し、1904年解体され、再建されました。建物は現在、プライベートホールです。1904年に再建された東海関外国人職員寮は、煙台山の西に位置し、英国の新古典主義様式で、北から南へ向かい、延べ床面積は約970平米㍍で、二つの斜面は黒(現在は赤に改装)、鉄の屋根裏部屋、二重煉瓦造りの木造構造、平面は長方形、南ファサードの1階に開放式外廊下、西ファサードに4つの出窓、北東の西ファサードに長い煙突が切り壁とコーニスを通って外壁を貼り、ゲートの入り口にドリック柱式門斗、三角形の切り壁があります。

東海関埠頭検察房:東海関埠頭検察房は勝利路北端にある太平湾埠頭の南西側にあります。1866年に建てられたヨーロッパのペディメントスタイルです。南向き、北向きです。建築面積は約450平米㍍です。1862年、煙台に東海関税関が設立され、東海関の税務局であるハンナンが埠頭を建設するというアイディアを提案しました。1865年に税関埠頭と付属施設の建設が始まり、輸入品の検査場所として東海関税関埠頭検察房を含めて完成までに1年かかりました。

東海関税関は、「煙台東海関条文」に基づき、ここで貨物船の停泊、倉庫保管業務を行い、独自の港湾貨物・保管統計を作成・実施しています。東海関埠頭検察房は今、煙台港務局の使用房