近代煙台の初の海軍大閲兵
1886年の北洋海軍の軍事パレードは、中国近代史における最も規格が高い海軍軍事パレードの一つでした。
清朝海軍事務衙門醇親王奕譞は、会办大臣直隷総督李鴻章と共に、帮办大臣都統善慶などと共に北洋水師を閲兵し、旅順、威海衛、煙台、大沽口などを視察した。この軍事パレードでは、煙
台は醇親王奕譞のパレードの重要な停留所でした。
親王巡幸途中(醇親王巡幸海防の時、李鴻章と善慶との撮影)
(醇親王巡幸路線図)
巡幸途中、醇親王は詩句を記している:
危坐入東海,飄飄心迹真仙宰。
(船のうえに)端坐して東海に入る
飄々(ひょうひょう)とした心の内は、
まことに仙人のようだt
滄波万疊湧艨艟,又疑雲煙出沒籠崴嵬。
滄(あお)い波が艨艟船のまわりに幾重にも立ち
まるで雲煙が湧き出て
高い山をかこっているようだ。
西送月無痕,東瞻日初浴,
西では月が沈んで、もうその痕跡もない
東では太陽を仰ぎ見て朝の最初の光を浴びる。
除却升沈赤白丸,惟有滉漾一色連天綠!
昇リ、沈む赤と白の球体を除けば
(昇る赤い朝日と沈む白い月以外は)
ただ滉漾とした海の緑が天に連なっている。醇親王、大沽砲台視察後乗船出発
煙台大会
5月22日、醇親王は煙台に向かった(醇親王威海衛巡幸)海軍布陣
醇親王《海晏船開赴煙台得句》
海宴船にて煙台に開赴して句を得る 清 醇親王奕譞
海風吹夢寒無迹,楼櫓旌旗槛外環。
海風夢に吹きて寒さの跡無く
楼櫓旌旗 檻外に環(め)ぐる
作気各施三里霧,揚波遠蕩四圍山。
作気 各(みな)施す三里の霧
揚波 遠く蕩(うご)かす四囲の山
勇如周處蛟終戮,巧到公輸鐵不頑。
勇は周処の蛟の終に戮せらるるが到る
巧は公輸の鉄の頑ならざるに到る
西指崆峒矗雲際,徵颿又入素濤間。
崆峒の雲際に矗(ちょく)なるを西に指せば
征颿(せいはん)又た入る素濤の間
煙台に、次のように詩を書いた:
卅丈船疑一葦航,見山如客乍還鄉。
雲隨鸞鳳回翔久,潮湧魚龍曼衍狂。
閫外宣劳辨涇渭,楼頭伝語雜華洋。
束身一介尋常事,碩輔权衡計最長。
【読み下し】
卅丈の船 疑う一葦航,
山を見れば客の乍ら郷は還るが如し。
雲は鸞鳥に随い回翔して久し,
潮は魚龍に湧き曼衍して狂う。
閫外 労を宣ベ涇渭を辮(あ)む,
楼頭 語を伝え華洋雑る。
束身 一介 尋常の事,
碩輔 權衡 最長を計る。
【大意】
三十丈もある大船も大海原の上では一片の葦の葉のようである。
山を見れば旅客が故郷に帰ったような気分になる。
雲は鳳凰に付きしたがって天翔けて漂っている。
船外に苦労をねぎらい清濁(人種の違い)を超えて、
楼屋の前(船上)で語り合って内外と交じり合う。
朕一人が自制するのは通常のことであるが、
優れた補佐が均衡や最善を取り計らってくれたのだ。
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