旅順博物館のマンモス前歯(まえば、ぜんし)
旅順博物館のマンモスの前歯はどうしてもたらされたのか。
旅順博物館新館には長いマンモスの前歯が展示されている。このマンモスの前歯はどうして館内に収蔵されたのか。そこには物語がある。
改革開放後、民間人は船を整え、海に出て魚を捕獲することが認められた。旅順西部の海辺の一漁民が、ある日海に出て漁をして網(あみ)を回収する時に3メートルのマンモスの前歯を引っ掛け(ひっかける)たが、当時これはどんなものか分からず、ただ奇怪に思い、臨時の担ぎ(かつぎ)手を呼んで家に帰り小屋に放り込んだ。
何年か後に、この家の主人の体調が悪くなり、医者で検査したが病は無かった。別人の指摘で、彼の家の主婦が民間で貴人を探し見てもらった。その人は、あなた方の家の小屋には怪しい品があるようなので、処理するのが良いと言った。其時、その女性は数年前に蛇島近海で引き上げたあの長いものが小屋の中にあるのを思い出した。当時捨てるのは少しもったいなかったので、人にあげるにも欲しい人が無く、旅順に運搬して買う人がいないのか見てみた。そこでこの女性は三輪車で奇妙なものを旅順大獄展覧会館前に運んで買う人の有無を見てみたが、値付け(ねずけ)は安く、500元で売ってしまった。
旅順日露漢国旧跡博物館の勤務者は門前に(やじ馬が)取り囲んで見物しているのを見つけて、出て見ると、婦人が門前で品物を売っていて、彼も何か分からないような品物であったが、古いように思えた。そこでその女性に、海からの捕獲物は国家の所有物であるので、没収(ぼっしゅう)して館内に収蔵し展示する必要があると言った。その婦人は断固として承諾しなかった。この時幸いに、旅順で館内の勤務者とも顔見知りで、骨董蒐集(しゅうしゅう)好きの親切心のある人が、その人に没収しないことを説得した。彼は旅順博物館に収蔵できるかどうかを連絡した。博物館長は実物を見た後で1,000元を出費して、珍品は館内に収められた。その朴訥(ぼくとつ)温厚(おんこう)な百姓婦人は大変感激して、ぜひとも連絡を取った親切な人に200元をあげようとしたが、その人は決して受け取らなかった。彼女は、家にまだ小さいものがあったが、彼女が抱えて谷川に捨てたことを思い出した。そこで、その親切な人に、あなたがもし喜ぶならば、谷川に捨てた小さなものをあなたにあげたいと言った。思うに、親切な人にとっては吉報(きっぽう)であった。
博物館はこの珍品を館内に収蔵したが、これがどんなものかは分からなかった。これ以前に誰も見たことがなかった。当時はまだインターネットがなかったが、さもなくばネットですぐ解ったであろう。唯一の方法は北京の古代生物の専門家に館内に来てもらって鑑定することであるが、ただし、専門家の鑑定費用は大変高かった。
後に機会がやってきて、ある時に旅順博物館でシンポジウムが行われ、参加者の中にこの方面の専門家がいた。専門家は見てから、館内のはモンモスの前歯であると告げた。それは今から1万7千年前に、渤海湾は陸地であり、のち沈降下して海原となり、その古生物も一緒に沈降して、少量が石灰化と石化を形成した。この種の頭部のマンモスの前歯は稀覯(きこう)である。館長はそのモンモスの前歯がいくらぐらいするのかそっと聞いてみた。専門家の値踏み(ねぶみ)は購入価格と比較して、貴方の下顎(あご)が落っこち(おっこちる)させるぐらいであった。館長はやはり慧眼(けいがん)で「前歯」を知っていたと見るべきである。
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