秦嵌銅詔版鉄権- -棹秤(さおばかり)の錘(おもり)
底径24.7センチメートル、高さ20.5センチメートル、重さ32.5キログラム。
鉄の鋳物(いもの)、半球状で、平底、上部は半環形のつかみとなり、分銅の側面には銅の詔勅(しょうちょく)版がはめ込まれている。銅の詔勅版は長方形であり、長さ11.08センチメートル、最大幅8.8センチメートル。上面に秦始皇二十六年の詔勅文字が陰刻されている。縦書き、9行、計40文字、筆画(ひっかく)は屈曲(くっきょく)し、大小入り乱れてるが、ほとんどの筆跡は明晰で、個別の字画(じかく)消えっている。全文は「廿六年、皇帝盡并兼天下諸侯、黔首大安、立號爲皇帝、乃詔丞相状、綰、法度量、則不壹、歉疑者、皆明壹之。(始皇26年、皇帝は全ての天下諸侯を合併し、人民は平安となったので、号令を出して皇帝となった。そこで丞相(じょうしょう)の隗状と王綰に命じて、度量衡の制度が統一されず疑わしいものは、皆これを明らかにして統一させた。)」
紀元前221年、秦始皇帝は中国を統一し、中国史上最初の統一した中央集権封建帝国〜秦朝を建立した。
秦朝建立後に多くの国家統一と社会発展的な経済政策を発布し、例えば文書を揃え、車は規格を同じく、貨幣を統一し、度量衡(どりょうこう)の標準を統一して発布した告示には、多くの秦権、秦量上に類似(るいじ)の文字がある。秦権(錘)はてこの原理を利用して目盛(めもり)を刻んだ腕棹(うでざお)で重さを計量するもので、作用は今日の「分銅(ふんどう」に相当し、秦始皇帝が度量衡を統一した重要な実物資料である。
この鉄権は1973年5月13日に文登県蔄山公社新権村から出土し、国家博物館所蔵の山西省左雲県出土の鉄権の重量は基本同じで、全て30キログラムぐらいで、これは現在知り得る(しりうる)最重の秦権である。秦代の計量制度は戦国時期の秦国計量制度を標準に制定され、計量単位には石、鈞、斤、両、錙、銖であり、計量制度は1石=4鈞=130斤、1斤=16両,1両=4錙=24銖である。秦権の重量には4鈞(120斤)、1鈞(30斤)、20斤、16斤、9斤、8斤、5斤、1斤の数種がある。換算すると秦の一斤は現在の250グラムとなり、煙台市博物館所蔵のこの秦権は4鈞権となる。
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