山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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煙台の都市記憶

近代に煙台に通商港が設けられて(1861年)以来、経済社会は空前の発展で地域規模が、急速に拡大し、中国最初の民族工業を育成して、特色が鮮明な近代文化を形成し、中国北方沿海の重要な都市の一つとなった。

煙台博物館は煙台民族博物館と伝統文化の研究と継承、文化遺産の保護と利用に力を注ぎ、2010年から民間から多くの歴史的価値、芸術的価値のある文物の収集を開始したが、特に精選(せいせん)した数十点は煙台の歴史と民俗情緒を充分に反映し、開港当時の生活風景を復元し、生き生きとしたイメージで旧煙台の生活情景を紹介し、前世紀の旧煙台の生活絵巻(えまき)を展開している。

生産道具:電気化時代が到来する前に、我々の農業、商業、手工業など各業務生産の中には、大型で先進的な機械設備はなかったが、人力操作による、農業、商業、手工業などの各業務生産の工具は大変豊富であった。

代表1: 押切り(まぐさ、藁切わらきり)

押切りは草を切ったりその他のものを切る器具で、台上に刃物を据え(すえる)、刃の片方(かたほう)を固定し、片方に取っ(とって)手があり、上下に動かすことができる。この押切は農産物を切断(せつだん)(切割る)のに用いる。

代表2: 送風機

送風機は農村で脱穀(だっこく)する設備で、上部から小麦などの農作物を投入して、ハンドルを動かして羽根車(はねぐるま)を回転させ農産物を脱穀し、重い顆粒(かりゅう)を下から出し、籾殻(もみがら)は風口から吹き出る。

代表3: 酒槽「さかぶね」(酒搾り)

酒槽は造酒過程で不可欠の工具で、原材料を槽(そう)に入れ、上部の木柱を利用して石錘(せきすい)「玄翁げんのう」の重量で蓋を浄化に圧縮して、槽内の原料に圧をかけ、液体を下の出口から流出する。

運搬用具: 我々の時代は交通運輸が非常に発達した時代であり、マイカー、トラックはありふれたものですが、このような交通手段が普及していなかった時代には、各種家庭用のとくに小型の運搬用具は、ほとんどやはり人力に頼るものでした。

この二つは前世紀に煙台地域でよく見られた家庭用の運搬用具、木製の手押し車と乳母車です。

手押し車は農村でよく見られたもので、清末から建国後までに、材質の変化を経ています。手押し車の用途は広く、使われた期間も長いです。そして乳母車ですが、都市が立ち上がったばかりの頃は、省力化のために一世を風靡しました。私達が見ているこの乳母車は、大きさが現代のベビーベッドに相当し、子供を乗せて出かけることにとどまらず、米、小麦粉、野菜の購入、果ては石炭の運搬にまで応用され使われています。

生活用品: 人民が生活で使用する各種の物品は様々であると言えて、時代と地域が異なる民族情景が滲み出(にじみでる)ている。

代表1: 銭箱

この銭箱の大きさは現在の保険金庫と変わりがないが、紙幣と銀貨、貴重品と少しながらず詰め込め(つめこめる)て、現代の保険金庫のように精密複雑ではないが、当時も家庭が富裕な家の保険箱であった。

代表2: 銭袋

この銭袋は銭を入れる長方形の大きい袋であるが、造作は大変精細で、上部に当時使用していた商店の屋号があり、容量も多く、この商家がそれなりの規模があったと断定できる。

代表3:油簍(ユロウ)

油簍(口の狭い竹籠の内部に紙を貼り、桐油を塗ったもの)は以前に液体や水分の多い物品を入れる用具であった。往時は現在のようにプラスチックを使用した便利な器具はなく、酒、酢、醤油、油、漬物、豆腐乳(麹漬け豆腐)などのような品物は、運搬時に陶磁器の瓶を多用したが、瓶自体が重量があって、また割れやすいので、人々は油簍を発明した。この大油簍は、口が小さく、胴が大きく、肝心(かんじん)なのは油を漏らさないことが可能で、油を入れて、人々の生活に利便性をもたらした。

代表4: 蓑(みの)

我々が現在着るカッパや、雨傘の形式は豊富であるが、過去の煙台では、田舎でもあり、現地で材料調達した草で蓑を編んだが、過去の煙台では、田舎でもあり、現地で材料調達した草で蓑を編んだが、人々に一般的な雨着で、仕事や道行きにそれぞれ切り離せず、風雨を避けるのに大変実用的であった。

取水設備

我々の現在は都市や郷村まで、揚水は大変便利であり、家ごとの水道水、農業灌漑にも電動取水機がある。だが前世紀前期には、人々の取水設備はまだこのように進んでおらず、この一組は当時の人々が取水した道具である。
手動の轆轤(ろくろ)は簡単でよく見られ、主に家庭の取水道具で、これは機械原理を利用した人力水車であり、二人の合力を通して取っ手を揺さぶって(ゆさぶる)水を汲むが、鉄で作られていて、より大量の用水に使用できたから
これはまた鉄製の水車であり、人力の利用のほかに。馬やロバなどの家畜の力によって引き動かして、時間と労力を省いて、生産灌漑に適していた。各種の取水設備は地方で異なっていて、人々の生活を便利にした。

行商用具

天秤を担いで街中で呼び売りをする行商は今ではあまり見なくなった。だが市場や、商店の林立しない、小さい町や農村では、行商と出職は大衆生活に便利をもたらした。
これは一対の油売りの天秤で、もう一対は鋳掛屋の工具箱である。彼らの天秤は販売物品や、必要な工具類を収容していて、小さな宝箱にも劣らないものである。よく見ればこれは天秤の腰掛けで、天秤腰掛けは名の示す通り、天秤に荷物を担ぐことができ、作業やあるいは疲れで休憩したいときに腰掛ける、小さな椅子で、大変実用的であった。

著者 煙台 賈子芸

日本文資料整理 威海 李君