煙台の都市記憶
近代に煙台に通商港が設けられて(1861年)以来、経済社会は空前の発展で地域規模が、急速に拡大し、中国最初の民族工業を育成して、特色が鮮明な近代文化を形成し、中国北方沿海の重要な都市の一つとなった。
煙台博物館は煙台民族博物館と伝統文化の研究と継承、文化遺産の保護と利用に力を注ぎ、2010年から民間から多くの歴史的価値、芸術的価値のある文物の収集を開始したが、特に精選(せいせん)した数十点は煙台の歴史と民俗情緒を充分に反映し、開港当時の生活風景を復元し、生き生きとしたイメージで旧煙台の生活情景を紹介し、前世紀の旧煙台の生活絵巻(えまき)を展開している。
生産道具:電気化時代が到来する前に、我々の農業、商業、手工業など各業務生産の中には、大型で先進的な機械設備はなかったが、人力操作による、農業、商業、手工業などの各業務生産の工具は大変豊富であった。
代表1: 押切り(まぐさ、藁切わらきり)
押切りは草を切ったりその他のものを切る器具で、台上に刃物を据え(すえる)、刃の片方(かたほう)を固定し、片方に取っ(とって)手があり、上下に動かすことができる。この押切は農産物を切断(せつだん)(切割る)のに用いる。
代表2: 送風機
送風機は農村で脱穀(だっこく)する設備で、上部から小麦などの農作物を投入して、ハンドルを動かして羽根車(はねぐるま)を回転させ農産物を脱穀し、重い顆粒(かりゅう)を下から出し、籾殻(もみがら)は風口から吹き出る。
代表3: 酒槽「さかぶね」(酒搾り)
酒槽は造酒過程で不可欠の工具で、原材料を槽(そう)に入れ、上部の木柱を利用して石錘(せきすい)「玄翁げんのう」の重量で蓋を浄化に圧縮して、槽内の原料に圧をかけ、液体を下の出口から流出する。
運搬用具: 我々の時代は交通運輸が非常に発達した時代であり、マイカー、トラックはありふれたものですが、このような交通手段が普及していなかった時代には、各種家庭用のとくに小型の運搬用具は、ほとんどやはり人力に頼るものでした。
この二つは前世紀に煙台地域でよく見られた家庭用の運搬用具、木製の手押し車と乳母車です。
手押し車は農村でよく見られたもので、清末から建国後までに、材質の変化を経ています。手押し車の用途は広く、使われた期間も長いです。そして乳母車ですが、都市が立ち上がったばかりの頃は、省力化のために一世を風靡しました。私達が見ているこの乳母車は、大きさが現代のベビーベッドに相当し、子供を乗せて出かけることにとどまらず、米、小麦粉、野菜の購入、果ては石炭の運搬にまで応用され使われています。
生活用品: 人民が生活で使用する各種の物品は様々であると言えて、時代と地域が異なる民族情景が滲み出(にじみでる)ている。
代表1: 銭箱
この銭箱の大きさは現在の保険金庫と変わりがないが、紙幣と銀貨、貴重品と少しながらず詰め込め(つめこめる)て、現代の保険金庫のように精密複雑ではないが、当時も家庭が富裕な家の保険箱であった。
代表2: 銭袋
この銭袋は銭を入れる長方形の大きい袋であるが、造作は大変精細で、上部に当時使用していた商店の屋号があり、容量も多く、この商家がそれなりの規模があったと断定できる。
代表3:油簍(ユロウ)
油簍(口の狭い竹籠の内部に紙を貼り、桐油を塗ったもの)は以前に液体や水分の多い物品を入れる用具であった。往時は現在のようにプラスチックを使用した便利な器具はなく、酒、酢、醤油、油、漬物、豆腐乳(麹漬け豆腐)などのような品物は、運搬時に陶磁器の瓶を多用したが、瓶自体が重量があって、また割れやすいので、人々は油簍を発明した。この大油簍は、口が小さく、胴が大きく、肝心(かんじん)なのは油を漏らさないことが可能で、油を入れて、人々の生活に利便性をもたらした。
代表4: 蓑(みの)
我々が現在着るカッパや、雨傘の形式は豊富であるが、過去の煙台では、田舎でもあり、現地で材料調達した草で蓑を編んだが、過去の煙台では、田舎でもあり、現地で材料調達した草で蓑を編んだが、人々に一般的な雨着で、仕事や道行きにそれぞれ切り離せず、風雨を避けるのに大変実用的であった。
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