煙台で武勇を誇るロシア艦隊
日清戦争は中日両国間の国運の戦いであった。この戦争中に天朝上国(中華中心主義)の清政府は日本に打ち負かされ、権利を失う屈辱(くつじょく)的な『馬関条約』の調印を迫った。『馬関条約』の調印は、東アジアの局勢を緩和するどころか、かえって風雲の急変を引き起こした。ロシア、ドイツ、フランス三国は日中の戦いに仰々しく(ぎょうぎょうしい)介入し、煙台で「三国干渉も遼東で」の精彩な芝居を上演した。
三国干渉
日清戦争の影響は、東アジアの局勢を改変するのは世界情勢にも影響する戦争であった。この戦争で欧米列強が中国で利益を威嚇する時、彼らは随時に干渉を進行する準備をした。
1895年、清政府は馬関条約に署名することを余儀なくされた。日本が「馬関条約」で「勢力範囲」とされて来た遼東半島を占領したことを知ると、ロシアはまず反発し、遼東半島の放棄を要求し、「清朝の日本討伐を助ける」と脅かした。ロシア外務大臣ロバノフ公は、日本がロシアの忠告を拒否すれば、ロシア、ドイツ、フランスの三国は海上で共同軍事行動を取り、中国大陸に遠徴する日本軍と自国の交通を全て遮断し、孤立させることを正式に提案した。ドイツとフランスは直ちに同意し、同じ日に共同作業を行った。
ロシア政府は一方でフランス、ドイツなどと連絡を取り共同で日本に対して干渉し、別にすぐさま軍事部署立ち上げた。
ロシア戦艦が芝罘湾内に進入
海軍方面では、ロシアは極東に21隻の軍艦を集中させ、そこにはロシア太平洋艦隊と増援に来たばかりの地中海艦隊の軍艦があった。陸軍方面も3万人あまりを派出し、中国東北に侵入し、黒竜江地区の軍隊に、日本を襲撃する準備を命じた。ドイツとフランス両国も極東に駐留する海軍の力量を強化した。このようにロシア、ドイツ、フランス三国の艦隊も中国沿海に侵入し、日本海を航行し、日本に圧力を掛けた。
4月23日、ロシア、ドイツ、フランス三国の駐日公使はそれぞれ日本政府に声明を提出し、日本が遼東半島の放棄を要請した。ロシアの駐日公使は、日本政府は遼東半島の永久的占領を放棄し、日露友好関係を維持し、さもなくば「三国に対する抵抗は希望がないものであった。」。ロシア、ドイツ、フランス三国は日本政府へ15日以内に明確な回答をして、英米両国も日本に三国の要求を受けるよう勧告した。日本は、ロシア、ドイツ、フランス三国は外交圧力と軍事恐喝(きょうかつ)の二重の圧力のもとに、日本は異常に驚き慌てふためいた。
9ヶ月の戦争を経て、日本はもう疲労困憊(こんぱい)し、財政と軍備物資も欠乏しており、三国連合の海軍に対処する法もなく、単独でロシア艦隊に対抗しても把握することがなかった。
これによって、日本は敢えて闇雲(あえてやみくも)に三国干渉を拒絶せず、転じて外交手段を取り、英、米両国が反干渉に出ることを企画したが、未だ目的を実現することができなかった。如何ともし難く、日本政府は屈服(くっぷく)に迫られた。
三国連合の圧力のもと、5月5日、日本政府は「勧告」を接受(せつじゅ)せざるを得ず、「遼東半島の永久占領の放棄」に同意し、また伊東巳代治を全権代表として煙台の条約変更に派遣した。
煙台布武
日本政府は三国の勧告を受け入れ、遼東半島を放棄すると宣布(せんぷ)したにも関わらず、ロシア、ドイツ、フランス三国は日本の途中での豹変(ひょうへん)を恐れて、数十隻の戦艦を続々と芝罘に集結した。そこで「三国干渉は遼東返還」の芝居はクライマックスに突入した。
『馬関条約』が煙台で交換の前夜、芝罘湾内には戦艦が集結した。ロシアはここに「戦列艦1艘、鉄甲艦3艘、巡洋艦3艘、砲艦2艘、駆逐艦2艘と魚雷艇1隻を包括する軍艦12艘」が底流(ていりゅう)した。この軍艦には、太平洋艦隊司令海軍中将ティルトフの旗艦「パメット・ゾワ」号巡洋艦、ロシア有名な海軍軍事戦略家で海軍中将マカロフの旗艦「ウラジミール・モノハマ」号装甲巡洋艦が含まれた。この外、ドイツの2艘の巡洋艦、フランス、イギリス、アメリカ、イタリア各1艘の巡洋艦が芝罘湾に停泊した。
ロシア戦艦の演習
ロシア、ドイツ、フランス(主にロシア)は芝罘湾に集結して日本の連合艦隊の船舶を圧倒し、その中で威嚇する意味は十分に明晰であった。これだけではなく、ロシア人は剣を抜き弓を張る姿を羅列した。一部のロシア戦艦には灰色の戦闘塗料(とりょう)が塗装(とそう)され、戦闘を暗示しています。この外、軍艦は崆峒島で実弾射撃訓練を進行した。ロシア艦隊は日夜砲火を放置、いつでも出動する準備をして、いつでも開戦の態度を誇示した。
ロシア水兵の操練
煙台イギリス領事は、「ロシアの艦隊はここに至って目的は固く日本が満州領土の獲得をさせないためであり、所有のロシア艦船は全て手ぐすねを引いて待ち構えている。午後、船員達はロシア領事館に戦艦の可移動木板を運ぶのに忙しく、キャビンドアまでもその内に包括された。軍官達は薬局の包帯と医療用品を購入した。」と報告している。港内の一艘のロシア商船は所有していた日本籍の船員の解雇の命令を受けた。李鴻章に依頼され煙台に条約交換の協力に行ったアメリカ顧問のコスターも、「港内ではロシア艦が12艘が停泊し、帆のロープは纏め(まとめる)られ、甲板は掃除され、用のないものは岸に運ばれ、諸々(もろもろ)整備し、敵のあるようであった。イギリスの海軍提督も日本の海軍を消滅するのは難しくない。」と言った。
これと同時に、アメリカ、ドイツ、フランスなどの国際海軍陸戦隊も次々と上陸し、彼らの煙台に駐在する領事館を保護した。煙台の状態は一触即発で、大きな対戦は避けられないようであった。
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