威海槎山老祖洞
威海槎山老祖洞内に祀られているのは王玉陽の師匠の王重陽である。金庸の「射雕英雄伝」に登場する東邪、西毒、南帝、北丐、中神通の内王重陽と大理国王だけが歴史上の人物で、その他には全て架空のものである。王重陽、字は知明、重陽子と号する。金初の人で、祖籍は陝西省咸陽である。その生涯は北宋が衰え、金が侵入する時に当たり、王重陽には民族の危機を救う志があり、文武の挙人になったこともある。いかんせん南宋の政権は軟弱で、王重陽の抱いていた政策は実施することができなかった。金の抵抗が失敗すると、南山に隠遁し、地面を掘ってすみ、「生きる死人の墓」と称した。7年後生きる死人の墓から出ると、もう一つのやり方で自らの理想を実現した。王重陽はとても文才があり。多くの著作を残し、道教の哲理の面から新しい境地を切り開いた。道教、仏教、儒教の思想を一体とし、三つの教えは一つとした。また「道徳経」「孝経」「般若心経」を全真教の必修の経典とした。王重陽は護符に頼らず、練丹化金の法術を用いず、白日飛昇を信じなかった。内丹を練ることを道を得て仙人になる手段とし、「清浄」の二文字を修練の重要な事項とし、修行者は必ず出家して、欲望を捨て、苦行すべきだと強く主張した。千年銀杏の樹
本文は中国国旅(威海)国際旅行社提供
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