昔の人はなぜこんなにも水浴が好きなのか?
昔の人はなぜこんなにも水浴が好きなのか?とりわけ大晦日前夜沐浴して身を清めるのか?
本当の水浴文化は、殷商時代よりも更に起源が早いという。商が建国される前、商の始祖簡狄には伝奇的な故事があった。簡狄は帝嚳の寵妃であったが、かえって子宝を授かるのが遅かったので、とても焦っていた。古代ではずっと、母が尊崇であるのは、子の尊さ頼みだったので、もし息子一人、娘一人を産めば、側室の地位も自然と安泰となった。しかし簡狄は日々寵を受けながらも妊娠しなかったので、一度彼女が帝嚳に帯同して旅行に出かけた時、彼女の妹が、黒い池で身体を洗って厄払いし、ちょっとリラックスしたら、と示唆(そそのかす)した。
丁度その広大な池に着いた時、一羽の玄鳥がぼちゃんと五彩の卵を落とした。簡狄は浮き浮きして、ひとくちで飲み下すと、半時後に卵は彼女の体内で孵化し、妊娠が始まった。『史記・殷本紀』には、「殷の契、母は簡狄と言うが⋯⋯三人で水浴びに行き、雌の玄鳥が卵を落とすのを見た。簡狄はこれを取って飲み、妊娠して商族の始祖契を産んだので商族の人々は沐浴を格別重視した。詰まるところ、この水浴がなかったら、商王朝もなかったかも知れないのである。
その後、殷の湯王は、自分の沐浴をもっと神聖かつ純潔で儀式的なものにするために、自分の風呂に「苟に日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり。(今日の行いは昨日より新しく良くなり、明日の行いは今日より新しくなるように修養に心がけなければならない。)」という自戒の格言を刻ませた。
殷王朝以降、入浴文化が徐々に発展すると、入浴は単に簡狄を褒め称えるためだけではなく、それ自身に「価値」が生じるようになった。
1、儀式や祈祷の前に、風呂で穢れ(けがれる)を落とし、献身的な気持ちを表すために使われた。
2、入浴は陰陽の教義も重ね備えており、健康上の理由から、例えば端午の節句では「蘭湯」に入るなどした。屈原の「九歌」には「蘭湯に浴し芳に沐す。華采の衣は英の若し。」とある。古代人は端午の節句の時、きっと薬草を採集しそれをお湯に入れて、それから入浴して身を清めて、病気の予防や治療、邪気や湿気の除去に努めただろう。これは、古代人が端午の節句の日は陽の気が最も高まり、薬草の薬効が最も高まる日だと考えていたからである。
3、入浴は親孝行とも結びついていた。『礼記内則』には、「どのように洗うのかや、入浴の具体的な手順や方法も書かれている。民間では子供が三日毎に親の体を洗うことを求められています。5日に一回大風呂に入ることが親孝行です。
4、入浴には、再生という意味もある。入浴とは、実は汚れを洗い流すことであり、かつ生まれ変わるという意味でもあるのである。
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