「爹(ディエ)と「爸(バ、パパ)」にはどんな区別があるのか。二つの文字は分かれて初めて明白になるが、なるほど昔の人が父親を爹爹と言っている。
「爹(ディエ)」と「爸(バ、パパ)」は何方も父親であるが、いったいどんな区別があるのか。
ある人は、これは簡単ではないと言い、昔の人は皆「爹」と呼び、現代人は基本的に「爸」と呼ぶが、これはつまり古代と現代の区別で、現在では多くの国家で父親を「パパ」あるいは「ババ(baba)」と発音するが、潮流に迎合するために、我々も元々のやぼったい「爹爹」を「爸爸」と改めたのである。
聞けば大変道理が有り、多くの中国のテレビの時代劇では、子供はほぼ父親を「爹」を呼び、母親を「娘(ニャン)」と呼んでいるが、現在社会では、十中八九皆「爸爸」と呼んでいる。「爹」と「爸」は果たして爹が先発で、爸が後発、爹が「原産」で爸が「後創」の区別なのであろうか。
当然そうではなく⋯⋯実際は、最初に「爸」があり、あとからを「爹」があり、しかも両方父親の意味であるが、区別は大変大きい⋯⋯。
いったいどういうことなのか。
ちょっと私の話を聞いてください。
呼称の推移
父親に対する呼称の最も古い記録は簡単な「父」一文字で、出土した甲骨文に関係する記載を見つけることができ、この呼称は歴史が古いだけではなく、やはり最も安定した呼称で、現在に至るまで流伝している。
そしてその後の呼称は何度も変遷し、異なる王朝の特徴を含みながら、終始父の範囲の内にあった。そして父以外にも、また異なる呼び方が流行した王朝もあった。
例えば先秦時代(戦国以前)と秦漢両代には、父親は一般には父、翁などで、三国時期にもこの呼び名があり、例えば曹丕は(父の)曹操を阿翁と称している。父親両文字を一緒に組み合わせるのは、魏晋時代に始まっているが、当時多くの人は使用せず、現代になってようやく再使用されている。
唐宋時期には、人々は父親を「阿爺(アーヤ)」と呼び、これは白居昌、杜甫などの人の詩と『木蘭詩』中で知られるが、爺以外にも公、尊、老子などの呼称があった。
最も早い爸の字の記載は三国時代の『広雅』で、その後六朝の時期には、この時期に対して「爸は、父親の転なり」と解釈し、これは爸に字が父親より転変したことを表している。
古代では、父の読音は、現在の爸の読音であり、その後、国家統合、社会の変化のために、徐々に意見の相違が生じ、徐々に現在の父のこの読音に進化しました。
しかし、元の発音は対応する漢字を持っていないので、その後、空席を埋めるために爸の単語を作成します。しかし、なぜ父の下に巴を追加するのですか?
巴、甲骨文の書き方は:
不釣り合い、大きくて長い手を持て人のように、それは意味を誘発します:よじ登るのが得意な長い腕の男。
「巴」という言葉は古代巴国に由来しています。巴国は、現在の四川省に位置し、当時の巴国に住んでいた古代人は「巴人」と呼び、他の人とは異なり腕が長く崖と木登りが得意で、この「巴人」の特徴が発見されてから、「巴」という言葉には「しがみつく」という意味が与えられました。
父は家長として当然、家族の他の人に縋り付くので、父親の「父」の下に「巴」をつけて父親を「爸」と呼ぶのは、実は一種の尊敬の念です。実際には家族の中で父親野高貴な地位の肯定です。このように、「爸」という言葉の使い方が開発されました。
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