亞醜(青銅鉞)の微笑み
亞醜青銅鉞(鉞)は部族の存在を証明します。亞醜の顔の特徴は僅かに目立ち、目は丸く、口の角は上がり、城壁の胸壁のような歯は口の中に露出しています。この顔はかなり思慮深く見えます、そして少しでも「ハンサム」、なぜ名前に「醜」と言う文字があるのですか。
醜の簡略字は「丑」です。そしてそれは何の為に使われますか?三つの知識ポイントは亞醜青銅鉞を理解しましょう。
彼の名前のために「醜」と名付けられました
なぜハンサムな顔の亞醜鉞は醜鉞と呼ばれるのですか?この醜いものは「醜」のではなく、その顔の「醜」銘文のためです。
主流な理論は、銘文中央の「亞醜」と言う銘文があり、左上の「酉」字旁と「鬼」字旁からなり「醜」と言う文字が構成されています。「醜」と言う文字の周りの円は、甲骨文と金文の文字「亞」に似ているため、「亞」字形と呼ばれ、二つの組み合わせは「亞醜」になります。
亞醜銘文
一般的に言って、「亞」は亞旅、衆大夫或いは武官の名前です。従って、「亞」字形をした全ての青銅器は重要な重器であり、所有者の名誉ある高貴な地位の特徴です。ですから、「亞」と言う字は殷商時代に重要な意味を持っています。そして「亞醜」銘文の発見はこの部族の存在を証明しています。
亞醜(あしゅう)族が実在した証明
郭沫若先生の視点によると、商代のものと分かった図形文字は古代の国の名前である。亞醜鉞が出現したことで、神秘的な亞醜族が再び大衆の注目を浴びることとなった。彼の推測では、亞醜一族は商王朝の東方、つまりは現在の山東省青州一帯のような所で生活していたらしいが、蘇埠屯遺跡で見つかった亞醜鉞も正しくこの点を裏付けた。
亞醜錛と亞醜斧(山東省博物館)
無論、亞醜と言う銘文付の青銅器があったからと言って、出土した墓葬形式が亞醜族の族長を証明するわけではない。単に商王の方伯に次ぐような人物に過ぎないかもしれない。殷商時代に東方の主要国の一つであった亞醜族の経済は繁栄していた。実力は強大で、文化は殷商時代晩期文化と非常に良く一致していた。彼らが生活する地方〜蘇埠屯遺跡の所在地〜が商代の版図中にあることも非常に重要な役割を果たす。
国名が鉞の上に刻んだのは王権であり、兵権の象徴である
「口を歪め歯をむき出しにした大笑い」のように見えても、実際は口を開いて目を怒らせていて、頗る威嚇感のある亞醜鉞に一体どんな用途があるのだろうか?
大汶口文化中期の石鉞(左)と大汶口文化晩期の玉鉞
鉞は本来一種の武器である。青銅時代になってその象徴的意義は実用的意義を遥かに超えていた。甲骨文と金文では、「戉」の字は「王」と少なからぬ関係がある。甲骨文中の「王」の字は斧鉞の形と似ている。そのため「斧鉞」には「王権」を象徴する言い方もある。
甲骨文、金文中の「王」字
それから、古代の天子が斧鉞を諸侯、或いは大臣に賜うことは、彼らに征戦殺伐の権利を授与することであった。つまりは兵権を授与することでもあった。纏めると、無論武器として持ちいたのではなく、王権、兵権の象徴であった。鉞は古代全てで権利の化身であったと言って良いのである。
亞醜族の「代弁者」として、亞醜鉞は嘗て部族の栄光を証明し、その「微笑み」は時間を超えてあなたと私を感染させる。亞醜鉞を見に現場に行きたくはないだろうか?山東省博物館「海岱日新」➖「山東歴史文化展」は5月18日の「国家博物館の日」に完全バージョンアップして正式オープンする。
ドイツ柏林東アジア博物館所蔵品:商鉞
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