漢代の二枚の錦織の射籠手(いごて)「五星東方利中国(五星東方に出で中国に利あり)」発見の秘密
1995年に日中連合調査団は新疆ニヤ遺跡で、20世紀の中国考古の偉大な発見の一つである、色彩絢爛な錦織の射籠手を発見した。模様の間に8個の篆書の漢字「五星東方利中国」はっきりと出ているが、その背後にはどんな物語があるのだろうか。三つの観点から「五星東方利中国」の射籠手に迫ってみたい。
01、「五星」「東方」「中国」は漢代にはどんな意味があったのか?
「五星東方に出で中国に利あり」は夙に『史記・天官書」に「五星天の中に分かれ、東方の中国に利を積む」と現れているが、これは吉祥の星占いの言葉である。
錦織の文字の「五星」は水、火、木、金、土の五大惑星であり、また辰星、熒惑(クイワク)、歳星、太白、鎮星とも言う。「東方」は中国の古代占星術では特別な天球の位置を指し、「中国」が対応する「東方」の天域である。「中国」は当時の中国平原の王朝が直接支配した地区である。
「五星東方に出で中国に利あり」は、五星が「東方」に出現する天体現象で、「中国」の軍事大事件にきっと有益かあるという意味である。
「漢の興るや、五星が東井(ふたご座)に聚(あつま)る」。当時の人々は五星が集まり、東方に輝くごとに、大漢は安泰で隆盛となると信じていた。
02、「五星」の錦織はもう半分あるのか。図案に多くの深遠な哲理を含んでいる。
同じ墓から出土した「討南羌」と「五星」の錦織の図案の様式は大変似ており、専門家は二つの錦織は同類の錦布と推測し、これを基本として錦織の図案を復元した。
「五星」錦織と「討南羌」錦織と合併復元
更に考証は進められ、完全な語句は、「五星出東方利中国、討南部羌服单于降與天無極(五星東方に出で中国に利あり、中国は南羌を討ち、単于を降し服し、天と極まり無し)」の21文字であるべきである。意味は五星が東方に同時に見え、中国平原の王朝が南羌を討つ軍事行動が必ず成功すること。
錦織は1平方メートルあたり、縦糸48本、横糸220本である。藍、緑、赤、黄、白五色の縦糸と横糸で星模様、雲模様と霊禽と隋獣の模様を織り出している。上下ニ組のアラベスク模様の間に、一組7.8センチメートルの文字を織り出している。
「五星」錦織図案模様と祥瑞元素
「五星」の錦織の図案模様と吉祥の要素である。動物模様は右から左に向かって、鳳凰、鸞鳥、麒麟、白虎の順である。各種の花草と雲気紋が吉祥と柔軟な美しさを尽くしている。漢代の「陰陽五行」「天人感応(天神と通じ合う)」の理念も、この手のひらサイズの精緻な中に細かく織り込まれている。
03、黄河流域の「五星」の錦織は8,000里の彼方のニヤ遺跡に現れたのであろうか。
「五星」の錦織は新疆タクラマカン砂漠の中心地のニヤ遺跡であり、『漢書』に記載されている絲綢之路(シルクロード)南道のオアシス「精絶国」の旧籍であることを証明している。中国の平原地区で誕生した「五星」の錦織は、どうして8,000里も離れた精絶国の墓葬に現れたのであろう。
漢代に西域都護が設立された西域に官衙を設置し制度を設け、屯田兵が守備し、疆域を送られ実効的支配と統治を実施し、西域の歴史の新世紀を開いた。
第8号墓出土した「五星」錦織の情況
この錦織りの射籠手は正に漢王朝が精絶国に贈ったものである。「生前」は最高の栄誉と美談は、精絶の貴族に珍重を受け、代々受け継がれ、精絶国王が死後随葬された。
知識は物を創造し、「天の時間」と「地の気運」「良い材料」「技巧の素晴らしさ」を必要とする。天は物の性質を曲げ、単純さに違う。錦織は矢を放つ古代人の知恵と信仰である。錦織は「中国」の補助を包含している。「五星」の錦織は西域「精絶」の旧址に出現して、中国文化の多元性と一体性、生々流転を明らかに現している。
方寸の小さな品物に、濃縮(のうしゅく)しているのは歴史であり、花開いているのは文明である。千年の風が古道の砂を吹き起こしている。縦糸横糸の織物を俯瞰し、古今を通して、我々は綾錦の中華文明と出会っている。
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