漢字初の解釈: 辯証
「辯(弁)」は『玉篇』に、辯は、慧なり、正なり、理なり。これは聡明、正確、管理するの意味である。字形は「言」と「辡」との会意文字である。「言」は言葉を表し、「辡」は二人の訴訟を指し、この字は物事の正邪の議論、弁解の論争の意味の組み合わせ(会意)であり、辯の本義である。議論することは、是非を明らかにし、間違いを正する事なので、弁証や、是正(ぜせい)する意味が派生した。能弁な人は聡明でもあるので、利発な意味も派生している。
「証」の旧字は二つあり、元々の「証」ともう一つは「證」である。『説文解字』に、「証は、諌(いさ)めるなり。」という。これは直言して諌める意味である。「證」は、『説文解字』に「證は、告げるなり。」という。これは告発する意味である。告発には証拠が必要であり、実証、検証、証明などの意味を派生している。『玉篇』に、證は、験(しるし)なりという。従って證は現在の「證明」「證拠」などの言葉の「證」の字に当る。字形上は、「言」は意符であり「登」は音符である。
辯證(弁証)は、考証を分析すること。古漢語には「弁正(判決して正す)」という言葉はあったが、「弁証」という言葉はなかった。これは清末に入って来た和製漢語であり、これは日本人が英語のdialecticを翻訳したもので、弁論で真義を証明すること。但しこの弁とは他人を弁ずるのではなく自身を弁ずるものである。
一種の思考方法で、つまり直視、独立、静止して物事を見るのではなく、分析、関連、発展的に物事を観察する必要がある。物事がどのように見えるか、物事自身の様子、物事と他の物事との関係の様子、物事の過去と未来の様子を観察する必要がある。外面と内面、形式、本質、個体と集団、誰が誰を決定するのか、何が何に反応するのか、目前や、遥か遠くか、また利益や弊害、積極的であるのかそうでないのか⋯⋯を見る必要がある。
総じて全面的に観察する必要があり、真実は偽りの可能性があり、あなたにとって良くないことも良いことかもしれず、正は反であり、反は正であり、白は黒、黒は白、是は非、非は是、善は悪、悪は善、利は害であり、害もまた利、禍もまた福、福もあるいは禍……〜自身の目を「誤魔化(ごまか)す」必要はない。
ん?何か間違っていますか。つまりは間違っています〜実際に鉄壁の事実と結び付けことを忘れています。弁証法をうまく使っても、実践に止まり良心にも止まることを忘れてはいけません。
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