山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

漢字初の解釈:鶏(雞)




甲骨文の「鷄(鶏)」   、  、   、   には二種類の基本形があり、初期は、頭と鶏冠(とさか)、身体、手羽、足、尾が揃った雄鶏の形象を合体した象形文字である。別の物は左右の構造で、右側が「鳥」    、左側が「奚」    、  の形声文字である。

「奚」は殷商時代の奴隷の一種と考えられており、「奚」は元々北方の少数民族で、頭頂で弁髪を結う(ゆう)習俗があり、多くの一族が殷商との戦争で捕虜となり奴隷とされ、殷商部族が移住する時には頭髪を一緒に編み込んで、家畜と共に移されたのが、奚奴であった。


「鶏」の第二種の構成から、殷商時期には古代人は既に縄で「鶏」の脚を結んでおくほうほうで養鶏していたと考えられる。

「鶏」は古文でも「雞」と良く書かれるが、これには二つの原因があると見られる。

一つには、甲骨文では「隹」と「鳥」は元々同一文字であり、「隹」はつまり「鳥」であり、「鳥」はつまり「隹」であり、偏旁としては混用されている。

二つに、文字の発展に従い、「隹」と「鳥」には異なる意味となり始め、「隹」は短尾の鳥の総称となったので、母鶏は「雞」と書いた。これはずんぐりして尾の短い母鶏の形象に符合している。「鳥」は長尾の鳥の総称であり、雄鶏を「鶏」と書いたのは、現実の長々とした雄の形象を良く表している。

古代人ははじめにこの二つの文字を想像した時には、恐らく母鶏を「雞」と書き、雄鶏を「鷄」と書いている。

殷商時期の「鷄」    は雄鶏の形象であり、周代の金文     と小篆     は甲骨文の第二種の形体を継承している。隷書化     した後、楷書では「鷄」、「鶏」と書く。

「鶏」の本義は夜明けを告げる家禽である。

「鶏」は人類を飼い馴らした六畜の一種で、品種は多く、肉や卵が食べられる。古代の先人が養鶏を重んじたのはニワトリの「時を告げる」という功能である。雄鶏は暗闇の魑魅魍魎(ちみもうりょう)を駆除すると考えられ、過去には民間には雄鶏の血で邪鬼を駆除する習俗があった。

古代の先人はニワトリは「天に通じる神霊」であると考え、「時報神」と崇めて、人々の祭祀に受け入れられた。漢の韓嬰の『韓詩外伝』に、「鶏に五徳『頭に冠を帯びるは文なり。足に距を傅(たす)くは武なり。敵の前に在りて敢闘するは勇なり。食を得て相い告ぐるは仁なり。

「鶏」は十二支の一つであり、酉に配される。