漢字初の解釈:京
「京」は象形文字である。
甲骨文の「京」 字の構成と解釈には諸説ある。あるいは、甲骨文の「京」字は柱を立て土石を基礎として亭屋や塔 を建築するもので、あるいは高地の上に展望台 を立てて、敵情や民意を観察するものである。今日の本義は塔や楼閣を指すものである。
あるいは、甲骨文の「京」 字は古代の「大穀倉」を象形で描いたもので、上部の「△」記号は「大穀倉」の屋根であり、中間の横線は穀倉の主体部分であり、穀物を貯蔵する場所であり、下部の二〜三本の縦線は高床の柱を様々な角度で表したものである。」
『広雅・釈宮』に「京は、倉なり。」顔師古の注に、「京は方倉なり。」『説文解字』に、「京は、人の為る所の絶(はな)はだ高き丘なり。」
【注】「京」の本義は人工的につき重ねた大型の高塚であり、古代の軍事工事の一種である。あるいは「京」は古代の王者の住む巨大な居所であり、またあるいは掘立式の半地下建築物である。またあるいは気宇壮大な宗廟である。
金文の「京」 は甲骨文の字形を継続している。小篆「京」 は甲骨文の上部の「屋根」と中間部分が切断されている。甲骨・金文の通常は中間部分に付属する場所を「日」に作り、下部の掘立柱の部分 を「小」 に変化し、楷書は「京」と書く。
「京」の本義は欄干を伴うような広大な建築物であり、中国では「高脚楼」または高脚屋(いわゆる高殿)と呼ばれる。発展して高丘、高崗という意味になった。『詩経・鄘風・定之方中』の、「楚と堂と、景山と京とを望む。」も特に人工的に構築された高い土盛を指す。
「京」も発展して大倉、穀倉を指す。『詩経・倉公伝』に、「建家の中下の方石を見て、即ち之を弄ぶ。」意味は、建(人名)家中高殿の下の角石を見て、これで遊び始めたこと。
「京」は広大な建築物から大きいという意味に発展した。『左伝・荘公二十二年』に、「八世の後、之れと京するもの莫し。」(八代後には、比較する者がないほど大きくなった。)
「京」はまた国都、首都を指す。「京」と「京師」は周の先祖公劉が最初に建都した場所で、つまり「周五遷」中の邰から豳,に移転した「公劉の遷」である。古代の「王都」の称謂は、殷人は天邑、大邑と言い、周の人は京、京都と言い、楚の人は郢、郢都と言った。
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