山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

威海衛学校

建築年代:1903年

省級文物保護単位

威海衛学校は、イギリスのハーバート・レナード・ビアによって1901年1月に創立された寄宿制(きしゅくせい)の男子校(予科学校)です。設立当初、劉公島に建てられたのは一部屋だけの校舎で、通学生は4人しかいませんでした。1902年12月、「威海衛学校債」を発行して資金を調達し、黄泥溝村の海崖の土地10,000㎡のを購入して、40人から50人の学生を収容できる西洋式の学校を建設しました。

1922年、中華民国とイギリスによる威海衛の返還交渉が威海衛で行われました。【交渉の難航によって、】威海衛の将来は見通しが立たず、外国人商人の資金投入に影響を及ぼしただけでなく、威海衛学校の存続にも打撃を与えました。1925年秋、学校はホテル「東山飯店」に改築され、威海衛に来た外国人観光客を接待する一方、避暑に訪れた海外の学生の為に短期語学学校を開きました。

中華人民共和国が成立すると、威海市に駐留した人民解放軍の某部隊によって管理、使用されました。

その後、長い間修理されていなかった為、2014年に政府が投資して補修を行いました。現存する建物は、石と木で建てられています。建築面積は約1500㎡で、平面は「品」の字形を呈しています。主な建物は二階建てで、北側にあって南向きです。付属の建物は7棟ありましたが、その内の西側の2棟は1980年代に倒壊しました。