山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

膠東紙斗

紙斗は山東省膠東地区の女性が現地で材料を入手して農家や漁師に好まれる民族的な紙の器である。この伝統工芸は造形から寓意(ぐうい)のある文様、また民間の実用まで絶えず昇華・変化して、また多くの珍しい手工芸の逸品(いっぴん)を残している。 紙斗の製作工芸と本来の陶器の始めの形成には一脈通じる部分があり、始めに色々な紙に水分を浸透させ、唐臼(からうす)で搗い(つく)たり延ばしたりしてパルプにして、水を含ませ少量の白粘土、ふのり、しぼったニレの樹皮液または捏ねた(こねる)地粉(じこ)、柳の絮花などと捏ね合わせ、好みの甕(かめ)やビン、木製品の底型として形成し、半乾きの状態を待って取り外し、取り外したものの内外に紙を貼り、形を定めたら、最後に切り紙(きりがみ)細工(ざいく)で装飾する。 雲子花(ウンシカ)はまた紙斗花(シトウカ)、笸籮雲子(ハラウンシ)とも言い、これはもっぱら剪紙文様(中国切り紙)で装飾している。伝統的な雲子花は薄紅色、黄色の色銀紙(蛍光紙)を紙斗(紙箱)、笸籮(編籠)の下地に貼り、さらに寓意の好ましい黒(または青)の雲子花模様の切り紙を表面に糊付け(のりづけ)する。 栄成地区の切り紙の色彩はずっと黒色で、唐宋以来祭日には赤色を黒色に替え、また半切半描もしくは手描きの文様も現れた。雲子花は題材と内容に少しなからず形式美を追求し、さらにその吉祥(きっしょう、めでたいきざし)の寓意や、ある種のお守りや、魔除けを強調した主題も、平安招福のためである。五匹の蝙蝠(こうもり)を桃の実または「寿」字を切り紙したものを「五福捧寿」というが、「蝠」と「福」は諧音(同音の語呂合わせ)で、「桃の実」は長寿の象徴である。蓮華、魚、笙と童子の姿の組み合わせの切り紙は通常「連年有余(毎年利益がある)」。「連生貴子(良い子が次々生まれる)」と読まれて、「有余」と「生子」の二つに分類されるが、「蓮」と「連」、「魚」と「余」、「笙」と「生」はそれぞれ語呂合わせである。漢代以来民間では象徴や語呂合わせ(ごろあわせ)の方法で吉祥や幸福を待ち望んだ。。明清になるとこういった図案は発見して主流となった。また鳥や魚の文様があり、この種の文様は始めに原始彩陶や歴代画像磚、瓦当や器皿に現れ、「魚を銜える(くわえる)」模様の出現は往々にして生殖信仰の意義がある。

大型の紙斗は始め白地に青い模様、または色紙や模様紙を地にすることもあったが、切り紙はもっぱら青色であった。紙斗の内側は切り紙を貼らず、外面のみ貼った。蓋のない紙斗は底に少々の装飾があり、胴部分には四枚の大型の雲子花(折切り紙)が貼ってある。蓋付の紙斗の上下には皆雲子花を貼り、斗身の根元には三角形の連続模様を装飾して、その上に四枚の大判(おおばん)の雲子花を貼るが、斗身の上には装飾しない。斗蓋の丸い模様の切り紙は大きく精細があり、画龍点睛(がりょうてんせい)といえよう。斗蓋のヘリには一廻りのやや細かい三角形の連続模様で、また斗蓋と縁取りの間に一本の細かい縁を貼り、上下二本の間にこまかいいろいろな雲子花で彩り(いろどり)を添えている。この紙斗の内部処理は落ち着いていて、蓋の模様は華やかで、中間は空白で、あたかも天地のようにはっきりと、粗密が当を得て、すごぶる律動(りつどう)感がある。

日常と礼儀の用具

紙斗はまた「紙缸子(シゴウシ)」とも呼ばれ、農家や漁師が製粉や米、雑穀(ざっこく)を収納(しゅうのう)した。大型の紙斗は甕(かめ)を模倣(もほう)して、重厚で、芯があり、一般に模様のないものである。一尺前後の大小二種があり、蓋のあるものは米や製粉を収納し、蓋のないものは長短さまざまなものを入れた。

紙斗の応用は人々の生活観念の変化の衝撃を受けている。1970、80年代には、膠東の農家や漁業は言うまでもなく、市街の若者の結婚時にも紙斗や笸籮(コロ、羅芯の紙張り箱)を使う習俗が無くなった。
しかし時折まだ年配は過去の習俗を懐かしんで、何個か棚などに装飾品として置いて孫の男女が結婚するのに備えている。それでまたは新婚家庭の新品の家具に美しい紙斗を見ることができる。

極月(ごくげつ)二十八日には、膠東の家という家でお供物(くもつ)を蒸す(ふかす)が、栄成一帯では「供児(ゴンアル)」「天地供児」などと称して、大小いろいろ行われた。供物は蒸したあと、先ず冷やして、美しく供物を紙斗や笸籮に納め、上に赤い袱紗(ふくさ)できれいに蓋をして、年神の祭事を待つ。

7月15日は中元節で、主に先祖祭祀をするので、「鬼節(キセツ=御霊祭りみたままつり)と呼ばれる。航海や漁業の集中する地方では夜に「精霊流し」の催しが行われ、精霊流しの前には巨大な供物台が設置され、供物が並べられる。夜になると縛られていた霊魂の道が開き、各家庭で作った饅頭や米飯と瓜(うり)、果物に宿るので、紙斗や笸籮に盛り付けて、海に流して、身寄りのない亡霊や急死者を祀るのである。このように、紙斗は悠久の歴史文化地域である膠東でこの器具は一般の農家や、漁業の家に徐々に普及して、ある種流行の民間民俗器具となった。

著者 煙台 張宜中