山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

青島灯台シリーズ

一 小青島灯台

小青島灯台は、青島市先の青島湾内の小青島に位置して、船舶が膠州湾、青島湾を出入りするのに大切な航行補助標識で、「琴嶼飄灯」の美称があり、また青島市のランドマーク的建築の一つでもある。

小青島灯台は1904年に建築を始め、1914年の日独戦争の期間に破壊された。1915年に日本当局が灯台を再建し、1963年に灯台は大規模修繕と設備更新を進めて、灯火(とうか)には直径500ミリメートルの旋回フルネル式レンズを装着(そうちゃく)した。1995年9月から12月にかけて、小青島灯台は改造を進行した。1997年8月に元のレンズを取り除き、スペインFGAー175型灯火器と交換した。

小青島灯台は2006年に全国重点文物保護単位に指定された。それは帝国主義の青島横領の証拠であり、さらに青島の歴史発展と変遷の証拠でもある。

ニ 潮連島灯台

潮連島灯台は青島市の東南黄海海上の潮連島にある。1898年10月ドイツ占領当局は潮連島に第6級の臨時的な灯標を建設して、1903年には石ブロック積の八角形の褐色(かっしょく)石塔を正式使用して改築された。1914年の日独戦争中に破壊された。
1915年8月に再建して霧笛を装備した。1945年7月31日午前11時40分、2基の米機が潮連島上空に到着して4発の爆裂弾(ばくれつだん)をと一発の焼夷弾を投下し、霧笛、機器、宿舎等を損傷し、灯台のガラスは皆破砕(はさい)した。1948年8月28日に潮連島残灯台を修復した。
潮連島灯台は幾度かの大修理を経て、「旧態修復」堅持を原則として、旧態保存を基本とした。中国文物局の第3回文化財悉皆(しっかい)調査で、潮連島灯台は全国54万箇所余りの新発見不動産文物の中から選りすぐった(えりすふる)、「百大古跡」の一つに栄列された。
2019年10月7日、潮連島灯台は第8次中国重点文物保護単位に入選した。

三  団島灯台

団島、またの名は遊内山、西台鎮の西側にある。船舶の投錨(とうびょう)地(膠州湾)への乗り入れまたは港内への進入の便の為に、ドイツ国総督府は1900年12月1日に団島岬最南端の遊内山砲台前に建築して灯台の使用を開始した。
塔は石ブロックの円柱形塔身を作り、機械室などの付属建築を有し、灯火射程15海里で、電気式霧笛(鐘)を装備した。1914年8月団島灯台は日独戦争で毀損(きそん)した。
1919年日本側は元の位置に再建を進め、八角形の石積構造をなし、機械室などの付属建築を隣接し、内部に螺旋式の花崗岩の段階を設置して三階に達する灯室であった。新灯台内には機械駆動による気道警報機を装備して、霧天気候には30秒ごとに警報サイレンを3秒発出したが、古い青島人口伝のマナティー伝説は実はこの装置の発生する低周波警報であった。1955年に団島灯台と改称。1960年6月に元の霧笛を取り外し、ドイツ製の電気式霧笛に交換した。
建物は交通部青島海建局航路標識処が使用していて、灯質は明暗の赤白緑三色ビームで、水晶の屈折(くっせつ)光ドラムレンズで交互に発光して、光線射程は15海里である。
団島灯台は「膠州湾の瞳ひとみ)」と呼ばれ、団島灯台は2006年5月25日に国務院によって全国重点文物保護単位となった。

四 馬蹄礁灯台

馬蹄礁灯台、この灯台は馬蹄礁の西北端にあり、灯台の位置は暗礁にあり、大港に出入りする転換点として、また膠州湾で最も重要な水上灯台である。岩礁は馬蹄形であるので、馬蹄礁と名付けられた。
この灯台は1904年に建築を開始した、初めてドイツ占領港務局が設置した馬蹄礁に配置された灯標であり、1914年於日独戦争の時毀損(きそん)し、1915年8月に改修した、構造は黒白交互の横縞(よこじま)の円柱形石塔である。
100年あまり、これは膠州湾内に位置していて、今日まで保存された無人操作の灯台はずっと重要な作用を発揮してきた。
長期の海水浸食により、灯台は「満身創痍まんしんそうい」となり、2011年に、「復旧修復」の原則で修補に着手し、四ヶ月をかけ、成功を修めた。

五 大公島灯台

大公島は面積0.1555平方キロメートルで、最高地点の海抜120.0メートル、青島市第二の標高の島で、大陸からの最近距離は14.8キロメートルである。大公島灯台は1908年に建築が始まり、初の4海里を見通せる赤色の信号灯柱である。
1914年の日独戦争中に損壊を受けた。1915年7月再建。抗日戦争中に破壊を受け、1946年に修復された。大公島海域は青島港へ進出するのに必ず通る航路で。この灯台も海上航路の重要な標識である。
1988年9月、大公島灯台は再建して、高さ10.4メートル白い繊維強化プラスチックの鉄骨塔身となった。1996年7月、場所を移して再建。
六 奥帆灯台
奥帆灯台は青島の街では歴史の浅い灯台で、青島の街で最もよく知られた灯台である。灯台の高さ2008センチメートル、つまりは20.08メートルは、2008年に青島で行われた第29回オリンピックのセーリング競技を象徴している。
灯台の底幅は直径6メートル、灯籠(とうろ)の幅4メートル、光達距離は3㌔メートル、夜には鮮明華麗な6色の光芒(こうぼう)を放って(ほうる)、奥帆灯台は青島の新しいランドマークの一つとった。