辛汪巡検司創寨碑
等級:一級文物
数量:1 件
時代:明
明洪武2年(1369年)、明朝は威海衛寨子村に辛汪寨巡検司を設立し、同時に設立したものには、赤山巡検司、温泉巡検司があった。
孫諒は辛汪寨巡検司首任巡検に任じ、陣内に兵百人が駐屯し、営塁を築き、塹壕を深くし、烽火台を建て斥候し、武装を整備する、純羅(じゅんら)を厳密にして、海賊倭寇は海上に逡巡(しゅんじゅん)するだけで上陸して飼をなせなかった。巡検司の作用は今日の辺境公安に相当し、一般には辺遠地区に接し、地方の安全を管理し、倭寇の襲撃撹乱に対抗した。明洪武8年(1375年)、つまり6年後、孫諒の任は満期となり、上京試験に向かったので、当地の名士が孫諒の功績を記念して特にここに碑を建て、辛汪寨巡検司が要塞を創建した記録を石碑上に撰書した。この石碑は1991年3月に威海市奈古山西麓の寨子村付近で出土した。この石碑は我々に威海衛設立前の倭寇防衛の歴史を知らせ、辛汪寨の変遷と明初の海防状況を考察するための資料を提供している。
第一次世界大戦の中国人労働者の銅褒章
等級: 三級文物
数量:1件
時代: 20世紀20年代
この褒章は第一次世界大戦後、イギリス政府は参戦した中国人労働者に銅褒章を発給した。正面はチャーチル5世の胸像、周囲一首に英文、背面に騎士像と第一次世界大戦の終始時1914〜1918である。
1914年に第一次世界大戦が勃発し、戦争の巨大な死傷は交戦した各方面の兵員を急減(きゅうげん)し、労力がひどく欠乏した。特に1916年のヴェルダン戦役とソンム戦役で英仏等の国の人力資源の緊急した局面はさらに激化した。退勢を挽回するため、英仏等の国は目線を中国に向け、中国人労働者を募集して戦争所用を解決した。1916年10月、イギリスは威海衛で雇用局と中国人労働者待機所を設立し、英仏宣教師は山東、直隷(今の河北省)などの地で募集活動を進めた。これらの人員は人名登記、体格検査、契約調印などの手続きの後、また班、聯隊を編成し、隊列、行軍、体操(たいそう)などの身体能力訓練の、短期集中訓練の後、中国人労働者は英仏商船に乗船して、欧州の戦場に運ばれた。
第一次世界大戦中、英仏両国が募集した中国人労働者は約14万人で、威海衛から運ばれた中国人労働者は4.4万人に達し、第一次世界大戦中の重要な中国人労働者輸出地の一つであった。
威海衛が「第一次世界大戦中国人労働者」の歴史事件中特殊な地位を占めたのは、イギリスが中国人労働者募集の管理機構をここに設置し、その終結、訓練出発、連絡などの各種活動の主要がここで進行したからである。
日本文資料整理 威海 李君
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