山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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李鴻章の上奏文中で初めて「大連湾」言及

清光緒6年(1880年)、北洋大臣李鴻章は大連湾軍港建設構想上奏文中に、初めて大連湾について言及した。

清光緒6年、李鴻章は北洋艦隊と軍港を設立する視察でこの入江(大連湾)に来たが、後に入江は広すぎるて、防衛によくなく、後に旅順を選んだ。ただそこに旅順を退路を守る海防砲台5基と陸上防衛砲台1基を建設した。視察時に、一人の大臣はその極めて壮観な入江に「海と、空に連なる、広大な陣形である」と驚きの声をあげた。李鴻章はこれを聞いて、第六感で「入江の名はあった、堂々とした、具体的な、大連湾という。」その後李鴻章は皇帝に上奏文を起草している時に、「大連湾」という新名称を使用した。大連の名称は、大連湾に由来する。 大連湾砲台

また、大連の地名は「ダリニ」の音訳という一説がある。「ダリニ」はロシア語で、「遥遠」の意味であり、モスクワとサンクトペテルブルグから遠く離れた地方である。

「ダリニ」の由来は大連がロシアの租借地に陥ってから、ロシア皇帝ニクライがこの地にダリニと命名し、同時に自由貿易港として開放したのを根拠として、後に大連と転写(てんしゃ)した。

日本の植民統治機関の、1905年2月に、正式に大連と称した。 大連の夜景

1949年4月1日、大連と旅順は合わせて旅大市と呼ばれた。対外に開放するために、1981年2月に国務院の批准を経て旅大市を大連市と改めた。旅順は軍事要塞となり、1996年7月1日になって、部分開放が実現した。2008年11月21日に、国務院、中央軍事委員会は旅順の正式な全面開放を批准した。 旅順軍港

著者 旅順 李華家

日本文資料整理 威海 李君