山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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乃木希典の旅順でのいささかの誤伝

旅順の民間では乃木大将を取り上げると、それぞれに伝えられて、多くの老人は、語っている。乃木は大変凶暴で、ニ〇三高地攻撃でしばらく落とすことができずに、多くの人が死亡すると、乃木は(怒りで)目を赤くして、それに軍刀で自分の次男を切り殺して、自ら日本軍を引率(いんそつ)して一緒に突撃して、やっとニ〇三高地を占領した。帰国後、乃木希典は堪え忍んで自殺し、乃木の夫人も首を吊った(つる)。この種の見解は、私は何度聞いたかわからない。この種の見解と事実の相違は、多くの人を欺い(あざむく)ている。

その一つに、乃木の次男乃木保典は第一線の参戦人員ではなかった。1904年11月30日に彼は164高地から二〇三高地へ伝令に行く時に流れ弾が的中し、二〇三高地の西北斜面で死亡した。一週間後になって、ようやく死体が回収された。乃木希典が軍刀で撃ち殺したというのは根本的に違っている。

第二に、乃木希典は第三軍司令官であったが、司令部駐衛地は戦場と離れた柳樹房で、二〇三高地を打破した司令部は北面の164高地上に設置されていた。彼本人は部隊と共に攻撃できなかったのである。

第三に、乃木希典と妻の静子は一緒に自殺している。肝心(かんじん)なのは自殺の根本的原因ははっきりしていなく、それは天皇のために殉死し、同時に戦死者のために、懺悔(ざんげ)した面や子女を亡くした苦痛の要因があり、天皇に追従して一緒に自殺して亡くなったのである。

我々は共に乃木の家族の状況を見てみたい:

乃木希典家族構成

妻:乃木静子

子供

長男:乃木勝典(1879-1904)

次男:乃木保典(1881-1904)

三男:乃木直典(1889-1889)

長女:乃木恒子(1885-1886) 乃木希典と子供の塑像

著者 旅順 李華家

日本文資料整理 威海 李君