山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

旅順の饅頭山砲台の四つの「大饅頭」

旅順の饅頭山砲台の、跡地は老虎尾半島西鶏冠南面の山上にあり、海辺に寄り添った砲台である。この砲台は1884年7月に、費用3万両で建てられた。砲台中央には240ミリメートルのクルップ砲が3基あり、両側に120ミリメートルのクルップ砲2基がある。砲台付近には親兵左営の駐屯基地があり、その正門上方には「整暇(謹厳で落ち着いた形容)」の二文字がある。日清戦争後の1894年11月22日、饅頭山砲台は日本軍に占領された。

柏嵐子太平洋海珍品養殖公司門前を過ぎ、城頭山の南側の一本の小路に沿い、饅頭山に行くことできるよ二つの山の交じった峡谷の所に、一片の塀と壁の残る兵舎を見ることができる。継続して林間の山道を進み、前後して右に曲がると、前面に草に遮蔽(しゃへい)された山頂に、空飛ぶ円盤のような巨大な円形建築物があるのを見ることができる。近寄って見ると、それは饅頭状のトーチカである。饅頭状の尖り(とがる)の上に、四面に向かって観察と射撃する銃眼が残っている。その下面には、地下に通じる秘密口と階段が作られている。階段を降りると、遮蔽された砲台のトンネルがある。

山頂に立つと、あなたは4座の形の同じ饅頭状のトーチカを発見できる。このトーチカは保存がよく、原因は日清戦争の時に、清軍は自発的に砲台を捨てて避難し、ここには日本軍の砲火轟撃が無かったのである。

1899年に帝政ロシアが旅順港を占拠すると、1899年に饅頭山に砲台の拡張工事を開始した。全面的に饅頭山の砲座、地下坑道(こうどう)などを調べると、工事の質量はやや悪く、壁に亀裂や脱落のある部分があり、ロシア軍が用いたコンクリートと海のグリ石を流し込んだ砲台を完敗した部分の質量は、根本的に同一品質ではない。つまり饅頭山砲台の旧跡は清軍の残したもので、ロシア軍は根本的に拡幅しなかったと言える。それでは、ロシア軍はなぜ拡幅しなかったのか。ロシア軍はその北側と西北側に西鶏冠山砲台、城頭砲台を新築したためである。二つの砲台は高所から下を望み、共に口径150㍉メートルのキャノン砲17門があり、海面に対して厳密な火力封鎖を形成した。あの低劣(ていれつ)な清軍の饅頭山砲台は、ロシア軍により徹底的に放棄された。これは私の説である。