山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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110年前の奉天防疫(満州ペスト)

満州のペストは1910年10月末から1911年4月中旬に発生し、範囲は66の府庁州県に及び、病死者46,747人で、中国の歴史最大で最初のペストであった。それはマーモットの捕獲者に始まり、その人は病状が潜伏期間に中国人労働者と接触し、1910年9月中旬に7人の突然死を出した。感染した中国人労働者が故郷へ追放された後の、1910年10月26日、満州で最初のペスト症例が現れた。

12月18日に隆裕太后は伍連徳(マレーシアの華僑、イギリスのケンブリッジ大学を卒業、天津陸軍医学堂の招聘を受けた)は、全権総医官として満州で防疫の指揮となった。ハルビンの傅家甸(フージャデン)地区では4か月内に、ペストが原因で5,693人が死亡した。

1911年1月2日、奉天で最初のペスト患者を発見したが、当時奉天には既に日本人の病院があり、開業医はは組織的に防疫する専門能力を持ってしており、奉天の防疫の為に科学的保障を提供した。1月10日に交通規制を行い、往来者を検査し、容疑者をローラー調査し、5月20日になって交通規制を解除した。

1月4日から2月1日まで、大連、北京、天津、保定、旅順、芝罘、済南してペスト患者が出現したが、海陸の交通要衝の営口では感染者は発見されなかったが、これは営口の衛生当局の専業で豊富な衛生防疫の経験に起因するであろう。

図は千金の価値があり、やはり110年前の古写真で我々と共に百年の時空を越え、当時の奉天の真実の防疫の歴史が見える。

1911年奉天防疫明細図

奉天駅前設置の停留所所在区位図
奉天隔離病舎配置図

奉天第一隔離病舎

奉天第一隔離所配置図

奉天第一隔離病舎

奉天第二隔離所及び停留所配置図

奉天停留所

奉天停留所停留室

奉天停留所の停留人を収め(観察)

奉天停留所は停留人衣類を蒸気消毒する

奉天停留所停留一部室内の情況の一

奉天停留所停留一部室内の情況のニ

奉天停留所炊事場

遺棄の死体

西塔、十間房、柳町、老道口一帯の消毒

馬車夫の死体搬送

死体埋葬

患者の部屋が全焼

統一死体埋葬

死体焚焼
民衆も消毒滅疫の進行中

奉天第七巡警分局門前の棺材

西関地区の隔離病舎

西関地区隔離病舎内部

東関隔離病舎

市内監視所


合撮影

奉天の防疫機構