110年前の奉天防疫(満州ペスト)
満州のペストは1910年10月末から1911年4月中旬に発生し、範囲は66の府庁州県に及び、病死者46,747人で、中国の歴史最大で最初のペストであった。それはマーモットの捕獲者に始まり、その人は病状が潜伏期間に中国人労働者と接触し、1910年9月中旬に7人の突然死を出した。感染した中国人労働者が故郷へ追放された後の、1910年10月26日、満州で最初のペスト症例が現れた。
12月18日に隆裕太后は伍連徳(マレーシアの華僑、イギリスのケンブリッジ大学を卒業、天津陸軍医学堂の招聘を受けた)は、全権総医官として満州で防疫の指揮となった。ハルビンの傅家甸(フージャデン)地区では4か月内に、ペストが原因で5,693人が死亡した。
1911年1月2日、奉天で最初のペスト患者を発見したが、当時奉天には既に日本人の病院があり、開業医はは組織的に防疫する専門能力を持ってしており、奉天の防疫の為に科学的保障を提供した。1月10日に交通規制を行い、往来者を検査し、容疑者をローラー調査し、5月20日になって交通規制を解除した。
1月4日から2月1日まで、大連、北京、天津、保定、旅順、芝罘、済南してペスト患者が出現したが、海陸の交通要衝の営口では感染者は発見されなかったが、これは営口の衛生当局の専業で豊富な衛生防疫の経験に起因するであろう。
図は千金の価値があり、やはり110年前の古写真で我々と共に百年の時空を越え、当時の奉天の真実の防疫の歴史が見える。
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