山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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近代煙台倶楽部、戲院、映画院、旅館建築



煙台の優越な気候と自然環境は歴代の避暑の名勝地となり、(対外)開港後は、乱隊に避暑休暇に来る外国人が急増し、例えばアメリカ海軍は1874〜1934年60年余りの間に、毎年煙台へ避暑に来る人数は少なくとも千人あまり、多ければ5千人を超えた。倶楽部、映画館、ホテル、バーなど娯楽休暇制の建築はこれに従って潤い、市街の沿海一体随所に見られた。この類の建築の形式は比較的多種多様である。

比較的有名な倶楽部は芝罘倶楽部で、初め1865年に建てられ、煙台山下東南側、後に外国商会の所在地に位置し、その規模の拡大需要に適応するため、嘗て1906年、1907年、1931年の三度の拡張、改造をして、投資もイギリスをトップに多くの国が投資した。1931年に建設された主体建築は4層建てのビル(地下一階、地上三階)である。建築設計者は煙台葡萄山キリスト教会の英国籍牧師バーネット(W.E.Burnett)である。徳成営造厰によって建造された。建築は多くの場所にイギリス建築の特色がある。イギリス式の屋根は、そそり立つ屋根に一列の屋根裏の窓が突出し、景観が最も良い方向に東に立面する二重の列柱廊の取り外せる台には、柱に方形あり、円形ありで、方形柱には縦の角溝があり、円形柱には半円の溝があり、柱身には西洋の古典柱式を模倣して処理しているが、ただしみな変形処理でしつらえている。建物北部の1階はバーなどに使用する部屋、2、3階は客室など、地下室はボーリング場、ビリヤード場などとしたが、これは外国人が中国で設立した早期のボールゲーム場である。南部にはダンスホールとし、楽団台を設け、面積は500平方メートル近く、屋根高は8メートル近く、アーチ窓は、ステンドグラス、高級なダンスホールであった。倶楽部にはテニス場と、海水浴場の施設などがあった。

劇場建築は開港前から数軒あり、多くは伝統的な木造の建物で、収容は比較的小さく、座席は自由席で、視線と、音響はよくなかった。後に建てた劇場は西洋式の建築の技術と材料を採用し、ホール内の柱を減らし、観覧席は階段式にしつらえ、視線と音響効果を改善し、外観上もますます多く西洋式の形式を使用した。比較的大型の中庭には丹桂戲院(京劇のー)(今の勝利劇場)、瀛州戲院、群仙戲院、大観園戲院などがあった。中でも丹桂戲院は質量ともより良い建築であった。観客席は2階建てで、鉄筋コンクリートの作りで、鋼の円柱で、800席余り、地面の傾斜は比較的合理的で、舞台の間口は枠がまちで、装飾に古典図案が浮彫(うきぼり)され、上方には音声反射の建築処理が作られている。

映画館というこの西洋の娯楽形式はイギリス人が持ち込んだもので、イギリス人は煙台山上に煙台で最初の映画館「月宮」映画館を開設し、50席ぐらいであった。1925年に、中国人が「福禄寿」映画館を開業した。1935年、イギリスの商社仁徳洋行とドイツ商社道孚洋行が合資(ごうし)で金城映画館を建造した。建物は鉄筋コンクリートの構造であった。建築設計は1930年代の西洋建築の「オールドモダン」の手法を採用している。正面立面の縦走感(じゅうそうかん)は大変強く、立面の縦向き分割、細長いの窓、階段式の山型壁の先頭部分には縦向きの構図の要素を強化した。凹式の入り口に、二階建てのロビー、二階建ての観客席は、千席あまりの座席で、コンクリート構造であった。視線と音響効果は皆処置が良かった。屋根は鋼の梁で構造され、軽量トタン瓦であった。これも当時大規模を誇る建築を解決する合理的な屋根仮説の結構形式であった。室内には暖房設備があった。

ホテル建築は海岸路、及び朝陽街一体に分布し、その形式は多様化しており、模擬西洋古典様式あり、端的明快な近代様式あり、欧米の独立した洋式あり、また中国の四合院洋式があったが、多いのは折衷(せっちゅう)混合様式であった。常々一棟の建物に形式の異なる建築部品を混用し、一種を創造しある種西洋を反映する建築文化を企てて、また当地の地理気候と建築構築の方法のスタイルを結合している。これらの商業性の非常に強い建築は軽快活発で、新機軸をだした、西洋建築の一時期や、一地方の特定の形には厳格に符合していない。多くはイギリス式の傾斜屋根、フランスのルネサンス期の付柱(ピラスター)、イタリアのバロック式の彫刻、中国建築の部品を加工、変形、創作を経て、一棟の建築に混用し、一種独特の建築様式を形成している。比較的有名なホテルはアスターホテル(Astor House Hotel)と大陸ホテル(Strand Hotel)です。アスターホテルは1911年に建築され、24のスイートルームがある。二棟の客室棟は共に2階建てで、四つの傾斜した瓦屋根があり、大海に面した北側正面には2層の外廊下があり、一棟はアーチ式の廊下で、レンガ積である。一棟は縁枠のある廊下で、石積である。大陸ホテルは一棟の本館と8棟のヴィラ式の分館で構成され、テニス場、庭園などがあり、敷地19畝(76890.27平方メートル)。本館は52の客室があり、平面形は「H」に近く、鉄筋コンクリートの4階建て(地下1階と屋根裏1層を含む)、海に面する北側に外廊下を付帯している。8棟のヴィラ式の分館は2階のレンガと木材の構造の様式の建物で、建築の平面と立面はほぼ同じ形で、形態は活発明快で海に面した2階建ての縁側式である。