山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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仏像は、北斉の一つの重要な一里塚である

仏頭 北斉武平元年(570年) 河北省 北響堂山石窟 南窟 クリーブランド美術館蔵


北斉供養菩薩立像 北京保利芸術博物館蔵


菩薩坐像 北斉 河北省峰峰鉱区 北響堂山石窟北窟 フリーア美術館蔵


一仏ニ菩薩ニ弟子像 北斉 白石彩絵 クリーブランド美術館蔵


彩絵貼金釈迦坐像 北斉 太原華塔村出土 山西省博物館蔵


貼金石仏頭像 北斉 青州市博物館蔵


迦葉尊者立像 北斉天保元年(550) 河北省響堂山石窟クリーブランド美術館蔵

中国の彫刻芸術は南北時期に最初のピークを迎えた。この時期には人間性が覚醒し、個性が現れ、よしんば仏陀世界でも、飄々として落ち着き、表情も泰然として動じないものであった。

北朝は、西暦386年に北魏が成立して、東魏、西魏、北斉、北周と継続分裂し、581年に北周が隋に取って代わられたが、二百年近くの時間を持続した。この時期、彫塑芸術は模倣から全面的に現地化した過程に変化した。西魏と北周に属する仏像は多くなく、除去しても、北魏、東魏、北斉三代については、北斉の造像が最も人に喜ばれている。統治地域から言えば、北斉は東魏の支配地域を継承して、黄河下流地域の河北、山東、山西及び蘇北、皖北の広範な地域を占有している。同時に、西魏、南梁、南陳などの王朝も並存していた。


釈迦仏頭像 北斉 太原華塔村出土 山西省博物館蔵


白石菩薩立像 北斉 2012年習文郷北呉荘村出土 鄴城博物館展出

北斉の文宣帝高洋は殺戮を好む性格であったが、意外なことに「甚だ仏教を好み」石窟造像の造営に血迷った。響堂山、天龍山などの石窟のほかにも、後世には仏像を備えた石窟が多く発見されている。


菩薩頭像 北斉-隋鄴城遺址北呉荘仏教埋蔵興出土 河北省博物館蔵


彩絵貼金石彫菩薩立像 北斉 青州博物館蔵

絵画の風格には「曹衣出水、呉帯当風(曹呉二体)」との言い方がある。

「曹衣出水」は北斉の曹中達の始めた人物の衣服のひだの画法で、「曹法」の衣服の襞の模様は細線を束ねて、身に着けた薄絹が、まるで水から出たような感じに似ていて、名を得た。

絵画の技法は彫塑にも影響を及ぼしたので、北斉造像の衣裳の襞も紋様は簡素で、浅薄流暢なものが特徴で、まるで水中から掬い上げ(すくいあげる)たように、身体の結構に沿って起伏している。


青石立像 北斉 2012年習文郷北呉荘村出土 

北斉の造像の特徴に関してある評価を引用すると、「北斉の多くの造像は面相が豊かで、衣裳紋様は簡素、服装は体に貼付き、全体的に潤滑できれいであり、顔面の静逸温和な表情と調和一致している。」

「艶やかな姿態か平滑な衣裳から、筋肉の軽やかな起伏の変化を感じ取ることができるようで、潤沢の体表の緩やかに垂れる線条は、形象を簡素平坦な中にも内在する気質を露出させている。」

「大きな動態はないものの、逆に内在する活力を察することができ、自然に在って写実的な手法の中で、人物の形象に更に実感を具見させている。この種の素潔で潤淳な風格は北斉の彫刻芸術に独特の形を備え、明確に人を感動させている。」


北斉石造像 北斉(550-570)

鏤彫弥勒尊像 北斉 臨漳鄴城遺址出土 河北省博物館蔵


双思惟菩薩像 北斉 曲陽修徳寺出土 河北省博物館蔵


一仏ニ弟子ニ菩薩残像(飛天局部) 北斉 南宮后底閣 河北省博物館蔵

約言すれば、造像の風格は北斉になって明確な変化が発生したが、北斉造像的の典型的な風格は、洗練、流暢、簡潔、迫真である。

梁思成も、北魏の仏像は顔が小さく下半身が大きいが、北斉は顔が大きく下半身が小さいと結論付けている。



彩絵貼金石彫仏立像 北斉 青州市博物館蔵

北斉時期には、仏教の発展は一時に盛り上がり、国都の鄴城にはもう大型の仏寺が4,000ヶ所余りあり、僧尼は8万人であった。

関係資料により考証すると、鄴城で出土した大量の精美な仏教の造像は、工芸が精美であった。


釈迦牟尼仏説法像 北斉 臨漳鄴城遺址出土 河北省博物館蔵


石造三尊仏坐像 北斉(550-570)

145.0✖️86.5✖️79.7㎝


石造三尊坐像(背面)

この時期の造像は、対の菩提樹に、宝塔、蟠龍、飛天、双獅子畔、博山爐などの要素の組み合わせの、背屏様式の造像が広く流行した。

曲陽造像の模式となりがちだ極めて地方特色を備えた。


脇侍菩薩立像 北斉 曲陽修徳寺出土 河北省博物館蔵

例えば図中の菩薩は、身体が細長で、上半身を肌脱ぎ、二重の首飾りをつけ、肩には布を纏い、瓔珞を肩から下に掛け、腹部で交差してから下に垂らし、下には長い裳裾を着け、人々の腰は蓮の葉のあたりに出て、リボン状態の模様には蓮華、火炎宝珠、浄瓶などの図案が浮彫される。

全体の造型は謹厳端正であり精緻で美しい。


思惟菩薩残像 北斉 曲陽修徳寺出土 河北省博物館蔵


華厳洞 北壁 南響堂山石窟

別の例として、上の写真のアーチ型の門楣(リンテル)に彫られた浅浮き彫りの塔(パゴダ)スタイルの装飾様式があり、塔の下には卷雲と山の花があり、上の千仏洞の上にある大規模な彫刻に似ています。

青州北斉造像の風格: 例えば北斉仏頭像、北斉彩絵仏像、北斉盧舎那法界人中像などがある。風格は前一期とは大きく変化しており、身体壮碩、衣紋は簡潔に刻まれており、面容は飽満、表情は雋永深遂である。雋永=意味深長である、味わいがある。

青州北斉造像の特色:第一は北斉造像はほぼ体格壮碩、面容円潤、衣飾は一種簡潔な風格を持ち、袈裟の通肩は右袒に変わり、繁縟な衣紋は貼体(体にぴったり合った)線刻に改められた。いわゆる「扁平階梯式」手法を用い、あるいは、全く衣紋を飾らず、体が紙の如く滑らかで感覚が単純に変わった。五世紀前期の造像にはこの種の貼体様式が見られる。次第にこの種画が出す身体輪敦様式は、一世紀前と大いに異なるものとなるが、総体として再び外域の影響を受けて生まれたものである。


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第二は北斉造像は衣紋飾り物上、前期の方式を打破したものであるが、精神的、内在的な表現の上では、北魏以来の伝統を継承しており、仏像の面容は瞑想的で簡潔な服飾とよく調和しており、俗人を超越した仏の神性、つまり、荘厳、博大、慈悲、無量の智慧を十分に表現しており、ひとをして神冥の感に対面させている。
第三は、仏像の彩絵は完全に保存されていて、仏像が最初に作られた時の風采を疑うことができる。そして、これらの仏像は、更に高度な学術及び観賞価値を具有している。