暗闇の中の一つの灯り
ある釈容という僧が、毎日托鉢(たくはつ)に出かけて、日の出と共に出かけ、日の入りと共に帰った。
釈容が夜に寺院に帰ってくる頃静かで暗くまた大変狭い路地を通らなくてはならず、真正面から来る人があるとうっかりぶつかってしまうこともあった。釈容も何度もぶつかっているので、この道を歩く時は特別注意していた。
この日釈容がこの路地を歩いて寺院へ戻ると、面前の人がランタンを提げており、暗い路地が明るくなっていたので、釈容は慌ててその人に追いつき、彼の後ろから一緒に、ランタンの放つ灯りでこの路地を安全に通り過ごすつもりであった。
この時釈容は通路を過ぎ行く人が「この人は本当に変だ。明らかに目が悪く、何も見えないのには毎晩夜にはランタンを提げて出てくる。」というのが聞こえた。
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釈容は、目の悪い人がランタンを持つというのは初めて聞いたので、この話を興味深く聞いて、彼は素早く駆け寄って、前方の目の見えない人に追いつき、合掌して、「旦那、僭越(せんえつ)ですが、あなたの目は本当に見えないのですか。」と訊ねた。
目の見えない人は、「私は生まれた時から目が見えず、どんな明かりも見えません。」と挨拶を返した。
釈容はまた「若しそうならば、あなたは何も見えないのに、どうして白昼と黒夜の区別をするのですか。何の為にあなたは毎晩外出時に灯りをともす必要があるのですか。」とまた訊ねた。
その人は笑って「私の世界は白昼も黒夜も同様で、灯りを点そうが点さまいが、何の影響もありませんが、他人さまにとっては、夜には灯火を提げて人様の為に道を照らすのです。」と答えた。
釈容は手を合わせて、また盲人に「旦那は本当に菩薩様のような慈悲心をお持ちです。」と礼を申上げた。
目の見えない人は首を振るって、「いえいえ、私がこれをするのは自分の安全のためで、あなたがこの路地を通る時に、誰かとぶつかったことはありませんか」と言った。
釈容はは「何度かあります。」と答えた。
目の悪い人は「私がランタンを持って歩くのは、他人様の路を照らし、また他人様も私を見つけて、衝突することなく、互いに安全であるからです。」
釈容は感心して「私は日々仏法を求めていますが、今日になって本来どこにも仏法があることを知りました。」と言った。
暗闇の一つの灯りは、自分を照らすばかりでなく、別人をも照らしているのである。
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