赤山碑記
中日友好記念:唐の赤山法華院と日本の円仁慈覚大師は、歴史の深い縁(えにし)があります。
紀元838年、円仁大師は、遣唐使船に随行して揚州へ渡りました。唐に入り仏法を求めるためでしたが、皇帝の許可を得ることができませんでした。
翌年の秋、円仁は揚州から帰国する途中で赤山浦に漂着し、赤山法華院に滞在します。地元の官吏や僧侶と庶民の助けを得て西へ向かい、仏法を求めて五台山、長安などの地を巡り、847年法華院から唐を離れ、帰国しました。その歴史を銘記し、中日友好を継続するため、円仁円仁大師の生誕の地である壬坐寺の募集と組織の下、2008年3月38日に日本の阿南惟茂前駐中国大使、日中友好壬生寺円仁太鼓訪中団を率いて大師ゆかりの地を訪れ、円仁入唐求法1169周年を記念しました。日本の慈覚大師円仁には、入唐して仏法を求めること9年7ヶ月にわたり、その間に赤山浦に3度赴き、2年あまり滞在しました。また、各地の巡礼と帰国の途中で、赤山明神(石島赤山の山神)の教導と加護を受けました。円仁大師はこれに感謝し、たゆまず仏法を求め続け、天台山の教えを日本に伝え、ついに京都の比叡山の麓に赤山禅院を建立しました。
世の中が栄え、仏教の教えが広まり、1988年5月1日に中国法華院が跡地に再建されました。その際、日本の赤山禅院の管領叡南覚照大師が式典に出席し、弟子の武覚超、栢木寛照、通訳の蘭軍らを引率して仏像の開眼供養を行い、千年の法縁を繋ぎました。それから15年の歳月が過ぎ、2002年に赤山禅院、赤山禅院円仁入唐法巻、赤山閣、法華宝塔などが建てられました。これらの建物は、赤山法華院と隣り合い、周囲は静謐で、法悦に満ちています。叡南覚照大師はこの知らせを喜び、千株の牡丹を寺院の内外に寄付しました。それにソメイヨシノやイロハモミジなどの樹木を贈り、仏教の聖地と先賢の聖跡に捧げ、人々の幸せに寄与することを表明しました。
日本日中文化交流促進会会長蘭軍及び理事一同
中国威海石島赤山風景区 共同敬立
紀元二零一零年八月十八吉日
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