山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

中国山東省旅行、野球友好交流旅行、ゴルフ旅行、中華文化、歴史故事、中国野球、健康。

ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
当社の日本語WECHAT ID:18660355510。当社の日本語対応WECHAT IDを追加し、チャットでお問い合わせも可能です。

赤山碑記

中日友好記念:唐の赤山法華院と日本の円仁慈覚大師は、歴史の深い縁(えにし)があります。

紀元838年、円仁大師は、遣唐使船に随行して揚州へ渡りました。唐に入り仏法を求めるためでしたが、皇帝の許可を得ることができませんでした。

翌年の秋、円仁は揚州から帰国する途中で赤山浦に漂着し、赤山法華院に滞在します。地元の官吏や僧侶と庶民の助けを得て西へ向かい、仏法を求めて五台山、長安などの地を巡り、847年法華院から唐を離れ、帰国しました。その歴史を銘記し、中日友好を継続するため、円仁円仁大師の生誕の地である壬坐寺の募集と組織の下、2008年3月38日に日本の阿南惟茂前駐中国大使、日中友好壬生寺円仁太鼓訪中団を率いて大師ゆかりの地を訪れ、円仁入唐求法1169周年を記念しました。 日本の慈覚大師円仁には、入唐して仏法を求めること9年7ヶ月にわたり、その間に赤山浦に3度赴き、2年あまり滞在しました。また、各地の巡礼と帰国の途中で、赤山明神(石島赤山の山神)の教導と加護を受けました。円仁大師はこれに感謝し、たゆまず仏法を求め続け、天台山の教えを日本に伝え、ついに京都の比叡山の麓に赤山禅院を建立しました。

世の中が栄え、仏教の教えが広まり、1988年5月1日に中国法華院が跡地に再建されました。その際、日本の赤山禅院の管領叡南覚照大師が式典に出席し、弟子の武覚超、栢木寛照、通訳の蘭軍らを引率して仏像の開眼供養を行い、千年の法縁を繋ぎました。それから15年の歳月が過ぎ、2002年に赤山禅院、赤山禅院円仁入唐法巻、赤山閣、法華宝塔などが建てられました。これらの建物は、赤山法華院と隣り合い、周囲は静謐で、法悦に満ちています。叡南覚照大師はこの知らせを喜び、千株の牡丹を寺院の内外に寄付しました。それにソメイヨシノやイロハモミジなどの樹木を贈り、仏教の聖地と先賢の聖跡に捧げ、人々の幸せに寄与することを表明しました。

日本日中文化交流促進会会長蘭軍及び理事一同

  中国威海石島赤山風景区 共同敬立

    紀元二零一零年八月十八吉日